『表現を仕事にするということ』(小林賢太郎、幻冬舎)読了。創作・クリエイティブにプロとして関わっている人には、当然ながら共感を覚える言葉多数。というか、プロであれば感心してちゃいけないところでしょうが、それでもしっかりと言語化されているので、大切なことを再確認するためにも一読の価値あり。
ただ本作はむしろ、創作の道に進むことを躊躇している人、迷っている人、これからそういう仕事をしたいと思っている人、そういう子を持つ親にとってこそ、有用な一冊なのかもしれません。
ただ本作はむしろ、創作の道に進むことを躊躇している人、迷っている人、これからそういう仕事をしたいと思っている人、そういう子を持つ親にとってこそ、有用な一冊なのかもしれません。
『トークの教室: 「面白いトーク」はどのように生まれるのか』読了。オードリーをはじめとした多くの芸人、アイドルのラジオ番組を担当(?)してきた作家さんによる一冊。トークがうまくなるノウハウというより、それ以前の考え方を紹介していて、これを読んですぐトーク力が上がるというものではないが、気づきのきっかけになるのではないかと思う。
『常識として知っておきたい裏社会』(彩図社、懲役太郎、草下シンヤ)読了。元ヤクザのYouTuberと、裏社会に精通した編集者の対談形式で読みやすい。
懲役氏は名前通り、収監された経験がある元ヤクザとのこと。氏が現役だったのは暴対法の改正や暴排条例の施行などでヤクザ・暴力団への締め付けが厳しくなる前ので、今のヤクザを取り巻く環境を見て隔世の感を覚えている様子。ただいろいろ変わったとはいえ、ヤクザの論理や社会がどういうものか、(おそらく)変わらないであろうこともあるはずなので、氏の体験と、そのときの気持ち・考えを興味深く読むことができた。
『人生が整うマウンティング大全』(マウンティングポリス著、技術評論社)読了。前半は常にニヤニヤしながら、時に声出して笑いながら読みましたが、すべて読んでみてこれはとんでもない一冊だ、と思いました。
本書を単なる”ネタ本”としてスルーしたり、いくつかのマウンティングケースを読んで分かったつもりなったりするのはもったいないです。
『メンタル脳』(アンデシュ・ハンセン著、新潮新書)読了。『スマホ脳』が2021年に一番売れた本(オリコン)らしいのですが、このシリーズは読んだことがなく、橘玲さんが勧めるコメントをしておられたので読んでみました。かなりやさしく、中高生くらいでも読めそうな一冊でした。
『ルポ歌舞伎舞伎町の路上売春ーーそれでも「立ちんぼ」を続ける彼女たち』(春増翔太著、ちくま新書)を読了。『ルポ歌舞伎町』や『ルポ歌舞伎町 路上売春』という類書や、その他新宿・歌舞伎町の歴史に関する本は何冊か読んできているので、それらと比較すると、本書の歌舞伎町の立ちんぼたちへのアプローチ、取材手法が実に新聞記者らしいそれで、元記者の自分としてはしっくりきました。
橘玲さんの『スピリチュアルズ「わたし」の謎』と『運は遺伝する 行動遺伝学が教える「成功哲学」』を立て続けに読んだ。この橘さんらしい本でとても面白かったのだけど、このテーマについては消化しきれていないので、まず『スピリチュアルズ』のほうから、手帳にメモ書きしたところを備忘で引用し、感想をメモしておきたい。
天狼院書店の店長をされていた時から注目していた作家・川代紗生さんの『元カレごはん埋葬委員会』(サンマーク出版)を読了。読み始めてすぐ、「ドラマにしたら桃子、店長、黒田は誰がやるといいだろう」とか想像するのが楽しくなった(んだけど、もう舞台になっている。業界人の目を付けるスピードはやっ)。日ごろはチェーンのカフェしか使わないという人でも、こんな喫茶店のような場所が欲しくなるんじゃないだろうか。
國友公司さんの『ルポ歌舞伎町』読了。Amazonのプライム会員ならKindleで無料で読める。2023年2月発行なので、まだ1年弱なのにもう無料で読めるという太っ腹。内容は、歌舞伎町に興味がある人なら一読して損はないどころか、とても面白く読めると思う(自分は数日で一気読みした)。
東浩紀さんの『訂正する力』(朝日新書)を読了。
ビジネスでもエンタメでも何の世界でもいいのですが、ある人が頭角を現わしたり、注目されたりすると、ずっと昔の発言や行動が掘り起こされ、まったく関係のないようなことであっても、ネガティブな評価に結び付ける傾向がときおり見られるのが、自分はすごく嫌でした。
「昔はこんなことを言ってたのに、今はこう言ってる。意味が分からん」みたいなこと。いや、それよりむしろ、「昔こんなことを言っていた。だから今も同じ意見のはずだ。だからダメだ」みたいなほうでしょうか。
たとえば若いころにちょっとトガったことを言っていた人物が、歳を重ねてなお同じ考えを持っているとは限らないと思います。
なのに、なぜそこで「同じ人物」というだけで、「変わってない」と決めつけてしまうのでしょうか。
Twitter(現X)のMay_Roma(めいろま)さん、谷本真由美さんの新刊『激安ニッポン』を読みました。タイトルどおり、いかに日本が安い国になったかについて、各種のデータを交えて整理、海外と比較して、予想される未来について警鐘を鳴らした一冊です。
やしろあずきさんと福原慶匡さんの『クリエイターとクライアントはなぜ不毛な争いを繰り広げてしまうのか? (星海社 e-SHINSHO)』を読了。
書籍のタイトルがまさに本書のテーマで、著者の二人がクリエイター、クライアントそれぞれの立場から「なぜそういう行動をとるか」「なぜそう言うのか」を述べる対談形式。
映像やイラストなどビジュアルに限らず、テキストを納品するライターにとっても読んでおきたい一冊。自分は受発注両サイドを経験しているのでわかりみしかない。
いくつも「なるほど」を思う箇所があったのだけれど、いくつか備忘でまとめておく。
クライアントとクリエイターが同じものをレファレンスにしていても、見るポイントが違うとズレが生じてしまうという話。
たしかに「新海誠作品みたいな感じで」といわれて、「雲が印象的な青空」ととらえるのか、「思春期の男の子が経験するもやもやした失恋」ととらえるのかでアウトプットは大きく異なりそう。「コーラ」といわれて、「シュワシュワした炭酸水」ととるか「甘くて黒い水」ととるのかでも違う。
言うまでもないが、レファレンスは「これをパクッてくれ」ということではない。
締め切りが「金曜日まで」といわれたときに、クライアントはたいてい会社員なので営業時間内(17:00とか18:00)をイメージするが、クリエイターは「金曜の23:59まで」と考えてしまうという話。
さらにいえばクリエイターは、「どうせクライアントの担当者は金曜の夜はもう帰ってるし、土日は見ないだろうから月曜の朝までに送ればいいや」となりがち。
この認識の齟齬は絶対に起こるので、自分はライターさんには、時間指定しないまでも「金曜の夕方まで」とか「金曜の午後イチに」といったふうに、幅を持たせながらもある程度狭めることをするようにしている。さらにいえば、「この日の営業時間中に確認したいので」といった理由を伝えたりもする。逆に「月曜朝にみよう」と思っている場合は、それも伝えてあげて、「金曜が締め切りだけど、遅れても大丈夫」であることも伝わるようにする。
ちょっと脱線するが、クライアントとクリエイターの関係に限らず、仕事を一緒にやっている企業同士の関係において、金曜の終業時間ギリギリに相手にボールを渡すようなメールをする人は、よほど上から目線か、想像力が足りない人だなと思うようにしている。自分だけすっきりして休みに入ろうという魂胆がみえみえだからだ(かつては自分もやってしまったかもしれないので、今は注意している)。
遅れることが分かったら、その時点で相手に連絡するという話。
これはとても大事。締め切り当日になって連絡してこられても困るし、さらにいえば締め切りの時刻になって「間に合いません」といわれても、何の救いもない。
ちきりんさんの『自分の意見で生きていこう――「正解のない問題」に答えを出せる4つのステップ』読了。まさに「誰かのアクションへのリアクションばっかじゃなく自分で考えてリスク覚悟でスタンスをとれ。話はそれからだ」という話。
そういう考え方になじみがある(と思っている)人とっては「何を当たり前のことを」と思われることかもしれないが、いやいや、徹底してできてる人はそう多くないはずで、一端のビジネスパーソンであっても一度目を通す価値はある。
あらためて、本書の主張を簡単にまとめると……
反応と意見は違う、意見に正解も不正解もない、そもそも一つの正解がないことを考え議論するためには意見を持つこと。意見を持つには考えること。
というもの。
こうした意見をしっかり一冊にまとめあげるあたり(シリーズとして最初から計画されていたとはいえ)さぞクソリプに辟易とさせられているのだろう。
ところでそのクソリプについて、本書では「(聞いた人が)結論を変えないどうでもいい情報」(カッコ内・当ブログ筆者)と紹介・定義していて、「なるほど」とも思っただのが、まさにその「情報」についても整理されていて役に立ったのでまとめておく。
ちきりんさんは、世の中には「正確だが無意味な情報が存在する」と指摘し、それは専門家でもない人同士の議論(またはその前提となる「考えること」)には意味がないと述べている。
その例として、尊厳死に関するスタンスを述べたときに薬剤名を間違えていたという本人の過去の例を挙げている。そこでちきりんさんは、その薬剤名がなんであれ自分の尊厳死に対する考え方は変わらないということが大事なのであって、そこまで詳細な情報の正確性を求めるのは専門家でいいと解説している。
この表は本書からの引用。
詳細まで正確な情報 | 厳密には正確でない情報 | ||
---|---|---|---|
意見を変えうる情報 | ●▽ | ● | ●一般の人に重要な情報 |
意見を変えない情報 | ▽ | ||
▽専門家に重要な情報 |
『金融サービスの未来: 社会的責任を問う (岩波新書 新赤版 1904)』(新保恵志著)は著者が元銀行員(日本開発銀行→住友信託銀行、いずれも入行当時)だけあって、銀行に対する新しい在り方の提言は具体的かつ実践的に感じた。
特に手数料や金利について消費者、ユーザーの視点からおかしいと思われることを指摘し、「こうあるべきだ」という分かりやすい提言をしている。
特になるほどと思ったのは次のような箇所だ。
かつて銀行がよく売った元本保証型の一時払い変額年金保険は、売った時点で手数料がひかれたマイナスからのスタートとなるにもかかわらず、そうした説明が不十分であること。
投信の手数料については、銀行は販売手数料を顧客でなく投信会社など販売を委託した主体からとるべきであること、信託報酬や運用手数料は基準価額が最高を更新したときにだけ払ってもらうようにすべきこと。
たとえば銀行の普通預金金利はどこも横並び――メガとネットバンクでは異なるが、競合同士(メガ同士、地銀同士など)ではだいたい同じ――だが、信用リスクが高い銀行に預けたら高い金利をつけるべきこと。
銀行がお金を貸すときに保証を求めるなら、保証協会の費用はお金の借主に負担させるべきではないこと。
いずれも納得だった。
特に手数料については、銀行のみならず金融業界がそのあり方を見直すべき時期なのではないかと思う。
金融商品を販売することで(売買するたびに)手数料を受け取っているから、証券会社が顧客に不要な売買を繰り返させたりする。売ってしまえば後のことはどうでもいい「売ったもん勝ち」の営業がはびこってしまう。顧客が損しても売る側は得をとっているから信用されない。
投信の運用もそうで、基準価額がクソ下がってるのに手数料とるから「おかしい」と思われるわけで、上で紹介したように「成果が出たら払ってもらえる」ということにすればいい。
だからといって、「販売手数料をなくしたらロビンフッドのような形になって、ゲームストップ株のような問題が再発する」ということでもないはず。
顧客が損したら売った側も損しろとは言わないが、得はしないようにすべきなのかもしれない。少なくとも金融機関のトップのクソ高い報酬はいつまでも許容され続けることはないような気がする。
最近、エンリケさんをテレビで観て知り、「エンリケって航海王子かよ笑笑」とか思いながら観たのだが、思いのほか面白い人で感心した。そしてその数日後、田端さんが著書を勧めているらしいことをネットで知り、『結局、賢く生きるより素直なバカが成功する 凡人が、14年間の実践で身につけた億稼ぐ接客術』(講談社)を買って読んでみた。
結論からいうと、私の学びはごく陳腐。「成功には秘策はなく、誰もが当たり前だと思う徹底してやりきるしかない」ということだ。