2024年2月17日土曜日

『ルポ歌舞伎町の路上売春』は新聞記者らしい労作 鈴木涼美さん・宮台真司さんのインタビューによる締めもよい

『ルポ歌舞伎町の路上売春』
 

ルポ歌舞伎舞伎町の路上売春ーーそれでも「立ちんぼ」を続ける彼女たち』(春増翔太著、ちくま新書)を読了。『ルポ歌舞伎町』や『ルポ歌舞伎町 路上売春』という類書や、その他新宿・歌舞伎町の歴史に関する本は何冊か読んできているので、それらと比較すると、本書の歌舞伎町の立ちんぼたちへのアプローチ、取材手法が実に新聞記者らしいそれで、元記者の自分としてはしっくりきました。

レスキュー・ハブ、坂本さんの活動には頭が上がらない

韓国好きで新大久保によく行く自分は、新大久保から新宿へ、またその逆に新宿から新大久保に行く際に歌舞伎町を通り抜けます。その際、大久保公園の周りに立っている女性をよく見かけていました。

以前、それこそコロナ禍よりもっと前は、あのあたりに多かったのは外国人の女性でした。ですがここ数年、地雷系というのか病み系のファッションに身を包んだ若い日本人の女の子が増えました。

一昨年、昨年と大久保公園周辺での立ちんぼの摘発が何度もニュースになったこと、もともと歌舞伎町の成り立ちに興味があって歴史をまとめた新書を何冊か読んでいたこともあって、冒頭に挙げた数冊の本をここ数ヵ月で立て続けに読んだわけです。

これらはすべて力作で、それぞれに特徴があって甲乙がつけがたいのですが、本書は(これも冒頭で述べたとおり)新聞記者らしいアプローチで、「自分が記者でもこんな形で取材するかもな」と思わされた、しっくりくる構成でした。

本書は、歌舞伎町で女の子たちの居場所づくりをつづけているレスキュー・ハブの坂本さんや、坂本さんのところに集う女の子数人に何か月にもわたって密着。彼女たちがなぜ立つのか、(やめるとして)やめてどうするのか、(やめたとして)その後どうなったのか、を第三者的な(記者としての)立場から追い続け、まとめています。長い期間をかけてじっくり取材をされた労作です。

新聞記者らしいアプローチだなと思ったことの一つは、立ちんぼをしている女の子や、買う側の男たちに話を聞いて回るだけでなく、NPOとして活動している坂本さんへの取材・密着という形がとられているところですね。

坂本さんやニュクス薬局の中沢さんのような存在には脱帽、感心するしかないなと思いました。歌舞伎町にいる大人の中にも、トー横で子供たちを騙すようなクソな輩ではなく、こうした素敵な人たちもいるのだなぁ……。

歌舞伎町は「持たざる者」だけでなく「持つ者」にとっても居心地のいい、マイナスだけでなくプラスもリセットされる場所

なお本書は最後に、鈴木涼美さん、宮台真司先生へのインタビューを掲載し、現状の評価・分析と、社会が・私たちがめざすべき姿・とるべき態度の提示をしていますが、ここがとても良かった(そもそもこの2人の識者の考察や提言は、自分にとって、本書で取り上げた題材に限らず納得・共感できるものです)。

鈴木さんの指摘では特に、歌舞伎町では、他の社会では差別を受けることもリセットされフェアに扱われるが、閉じられた狭い世界でもあり、ここでしか生きられなくなると、逃げられなくなる、というところになるほどなと思わされました。

彼女の説明では、歌舞伎町は、最初はゼロスタートで「せーの」で稼ぎだすことになるため、「持たざる者」にとってはフェアな場所であり、(家柄などを)「持つ者」であっても自分が持っているものを気に入らない場合は居心地がいい場所であり、プラスもマイナスもリセットされる場所だといいます。

歌舞伎町は通り抜けるだけで、そこの住人になったことがない自分としては、そういうものなのかと感心すると同時に、(実態を知らないながらも)「きっとそうなのだろう」と説得力を感じました。

宮台さんの指摘では、単に今の歌舞伎町の分析にとどまらず、ずっと昔から社会学者としてフィールドワーク、社会研究をしてきた上での、時代や社会の変化に関する考察と、氏なりの処方箋に共感しました。

宮台さんが本書で述べていることをかいつまんで説明するとこうです。

人は入れ替え可能な存在として扱われることによって孤独を感じ、心身を痛める。免疫力が下がり、鬱、被害妄想をもつようになる。孤独は「性愛からの退却」と「感情の劣化」をもたらし、そこからの回復をするためには「心が震える経験の積み重ね」が必要である。

今起きている少子化の根本は未婚化だが、「性愛の退却」が続けば未婚化は続いていく。その根本にあるのは、不安ばかりあおり、性愛の実りを教えない左・右それぞれのイデオロギーである。他方、社会では愛よりカネという傾向が強くなっており、これらすべてに共通するのは社会への過剰反応である。

社会は言葉や法、損得が支配するハードフィールドであり、そこで生きていくには法や損得にしばられない、”安息の場”としてのホームベースが必要で、それが消えたことが問題だ。

こう宮台さんは指摘しています。

そして、崩壊が放置されたのは、互いを入れ替え不可能な存在として見るという規範がそもそもないからであり、大切なのは一人ひとりが持つ固有の物語に目を向けることだーー。

まさに宮台さんが、「大久保公園で起きていることが自分とは関係ないことだと見切ることは、この現象に加担しているのと同じだ」という旨、論じているように、歌舞伎町で路上売春する女の子たちがいるという現実に関心がない、他人事だと考えている人こそ、読んで欲しい一冊だと思いました。