2012年9月10日月曜日

ガチになって見えるもの・分かること――『AKB48白熱論争』を読んで



まず推しメンを見つけては 

 話題になっている『AKB48白熱論争 (幻冬舎新書)』を読んだ。

 単にAKB48についてファンが「俺はここが好きだ」「推しメンのここがいい」とか話してるわけではもちろんなく、現代日本社会を鋭く分析した一冊だ。だから「AKB48なんて……」と思っている人、バカにしている人にも一度読んでみてほしい。

 おそらく多くの非AKBファンは、

「秋元康がまたおにゃん子と同じことやってるんでしょ」とか
「そんなに可愛くもない素人の女の子が歌って踊ってるだけでしょ」とか

 決めつけているのではないかと思う。
 それを別に咎めるつもりも権利もないけれど、ここまでのブームになったことに対する分析から見えるものは、決しておろそかにできないはずだ。

 ただ48グループやメンバーのキャラについても詳しい言及がされているので、何も知らずに読むよりは、ちょっと下調べしてからをオススメしたい。やはり基礎知識はあったほうが理解は深まるはずだ。

 しかし、そうは言われても「何をどうやって調べればいいのか分からない」という人もいるだろう。現状、興味が持てないという人には、まず推しメンを見つけることを勧めたい。二百数十人もいれば、好みのメンバーの一人や二人いるはずだ。よく「経済に興味を持つためには少額でも自腹で投資をしてみるといい」といわれるが、それと似たようなもの。CDを買うなどの投資をしろといっているのではなく、気になる存在(ウオッチする銘柄)を見つければ、自然とアンテナをたてることになるで、少しずつ興味は深まり、広がっていくはずだ。

 本書で一つ残念なのは、AKBヲタ4人でのみ語られていることだ。「白熱論争」とうたっていて、確かに白熱はしているが、対立するところがあまりないので盛り上がりが一方的な感じはする。おそらくこの4人の論客は、この新書以外のところでそうした論争をやっているのだろうけど。

 一気に読み進める中で、「なるほど」「そういう見方があるのか」と思ったページに折り目をつけていった。その数が結構多くなってしまったのだが、その一部を紹介すると、例えば宇野さんの「カラオケは主旋律を演奏する音ゲー」、「推す」ということに対する考え方、商業主義を追求した結果として生まれてくる多様な民主的表現といった分析、中森さんの「恋愛能力」「セックスよりたちが悪い」といった指摘――などに注目した(宇野さんの指摘については、最後のほうに出てくる「多神教的な世界観と資本主義の結託」についてはちょっと分からなかったけれど……)。

 私自身は、先日ブログで東京ドーム公演で発表された組閣のことを書いたり、プロフィールに「こじはる推し」「さやか推し」と書いたりしてはいるものの、正直大したファンではない。公演だってドームが初めてだし、握手会に行ったり投票したりもしていない。「AKBが好きというより、こじはるが好きだから」とくどい説明をするのだが、それは自分をファンだというのはおこがましいと思っているからだ。
 思うに私は、どちらかというと最近まで「敢えてハマっていた」と思う。そんな私のような“にわか”は、いきなり「まえがき」でガツンとやられる。小林よしのり氏によるまえがきのタイトルがまさに

「あえて」ではなく、「マジ」で嵌る我々

なのだ。そこでは、敢えてハマっているのではなくマジであって、主観にどっぷり埋没しつつも、客観的に観察し、分析する力も持っている、と宣言している。まえがきに続く本編も、まさにそう評価できる内容だった。

 本書を通して驚かされたのは濱野さんのガチヲタぶりだが、あとがきのチームK沖縄公演の話がとてもよかった。感動した。それは一人の男性の情念が、冷めていた雰囲気を変えてしまったというエピソードだった。
 AKBといえば、「努力は必ず報われる」と述べ、懸命に努力する姿が印象的なたかみなが代名詞的存在だ(総監督だし)。AKBにはファンにもそうしたアツい人がいるのだ。

 アツい人、アツい発言を「何アツくなっちゃってんの」とシニカルに笑うのは簡単だ。
 でもそれでは何も生まれない。
 何事もやるからには、アツく、マジで、ガチでやらなきゃイカンと改めて思った。それは何も仕事や勉強といった、自分の将来に関わることだけに限らない。自分が大切だと思っていることであれば、周囲が考える「事の大小」ではなく、マジでやらなきゃイカン。マジで考えなきゃイカン(でなきゃ「好き」とは言えないのかもしれない)。




 AKB48はこれからも変化し、進化し続けると思う。今のAKB48と半年後、1年後のそれは大きく違うはず。つまり彼らには語るべきことがこれからも生まれてくるということ。節目節目にこの座談を聞いてみたいと思った。