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2016年2月14日日曜日

クオンタムリープとディスラプト 爆発的な進化を遂げるための小さな成長


m-flo[Planet Shining]

m-floに「Quantum Leap」という楽曲がある。2000年発表のアルバム「Planet Shining」に収録されている。m-floにはもっと好きな曲がたくさんあるので、特別この曲が好きというわけでもないが、m-floは楽曲を聴くだけでなく記事やブログを読んだり、インタビュー映像などを見たりしていることもあって、この単語は印象に残っている(VerbalさんかTakuさんが解説していたような記憶がある)。

「クオンタムリープ」。

非連続の飛躍といわれるものだ。簡単にいえば、ある一定の条件が整ったときに、爆発的な進化が遂げられる、という理解でよいだろうか。

2015年6月7日日曜日

「活躍したいなら越境を。10年間何かをやり続けて人脈と知識で世界を広げよう」ーー【対談】ムラカミカイエ×軍地彩弓

軍地彩弓さんとムラカミカイエさんの対談をクリーク・アンド・リバーの企画「東京会談」で拝聴した。テーマは「ファッションとテクノロジーの未来」だ。前回、1月に軍地さんと千原徹也さんの対談が面白かったので期待して行ったが、今回も示唆に富む内容だった。



2015年4月2日木曜日

「NewsPicksと考えるメディアの未来」を聴講。自分なりのNPの使い方、評価点に気づく


NewsPicksとサイボウズ式のコラボイベント「NewsPicksをこう変えろ "Pickerピッチコンテスト" Supported by サイボウズ式」に参加した。自分なりに、NPのどこを評価しているのか、どこに不満を感じているのか、今後どう使っていこうとしているのかが整理できた。

2015年2月27日金曜日

「習慣に入り込めないアプリは使ってもらえない」――iQONの金山さん(VASILY)の話を聴いたら面白かった



ファッションアプリ「iQON」のVASILY金山CEOの講演をデブサミ2015で聴いた。iQONのことは知っていたが、女性向けでもあり使ったことはなかった。とても面白く気づきにあふれる講演だった。特にサイトの企画をやっていることもあって、参考にしたいポイントが結構あった。備忘のために記しておきたい。

2015年1月2日金曜日

小籔千豊さんと中川淳一郎さん 2人が否定するもの――年末年始に読んだ本『夢、死ね!』『中身化する社会』


年末のアメトーーク!5時間SPが2014年の放送を振り返る内容で、小籔千豊さんの名言が紹介されていた。

「テレビ出てる人間は異常者ばっかり。普通の人間は出れへん。 ヘンなヤツばっかり出てるから、マネするなよ子供は! 夢なんかすぐ捨てろ! やりたくないことをやるのが社会! それがジャングルや!」というもの。この「やりたくないことをやるのが社会」というのは、本当にそのとおりだと思う。

2014年5月10日土曜日

NEWS PICKS(ニューズピックス)今さら使ってみたら結構よかった

今さら使い始めたNewsPicksは結構いい 欲しいのは情報より解釈



TwitterやFacebook、ニュースサイトやポータル、メールなどで日々多くの「ニュース」に触れていて、関心のある話題と出合ったとき、「これはどう考えればいいんだろう?」と思うことがある。自分にとって専門外のトピックだと、どう考えていいかすら分からない。そういうときは自分なりに信頼している人、一目置いている人のTwitterやBlogに行って、何か書いていないか探す。起業家、大学教授、ジャーナリスト、デザイナーなどいろいろで、リベラルな人もコンサバティブな人もいる。異なる立場からの感想や意見を読むのがためになるからで、専門家も、視点の鋭い専門外の人もいる(法律の問題について鋭いコメントをするのが弁護士やヤメ検だけとは限らない)。何かしら視点を与えられるのは非常に助かる。

2013年9月27日金曜日

この「いいね!」ボタン、コメント書けるのか、書けないのか? ドキドキ……WPのプラグインでコメント欄が見切れる症状の改善

Facebookの「いいね!」を押そうと思ったとき、コメントが書けるのか書けないのかが分からなくてイライラすることはないだろうか。

たとえばこんな感じ。


クリックしてもコメントはできず、「いいね!」の数が増えるだけのサイトなのか、


それともコメントが追加で書けるのか。

コメント欄もこんなふうにポップアップが別に開く場合もあれば、


ボタンから吹き出しのように出る場合もある。


たとえば変なニュースや、共感・支持はできないけど面白い話を共有したいときに「いいね!」を押すだけだと、自分がその話についてどういう立場なのか表明できない。

だから「いいね!」押しっぱなしではなく、一言でも言い訳コメントを書きたいと思いながら押すと、そういうサイトに限ってコメントが書けず、「いいね!」の数が増えるだけだったりする。

小心者で誤解されたくないので、わざわざ自分のFBページに戻って、「いいね!」を取り消したり非表示にしたりする。


困ることは他にもある。コメント欄が出るには出たが、見切れてしまう場合だ。

東京4万暮らしでも WP Social Bookmarking Light という各種SNSサービスにポスト、コメントができるプラグインを使っていたのだが、そのまま使うとこんな感じになってしまっていた。



スタイルのところに

.wsbl_facebook_like iframe{
max-width:none !important;
}
と書き加えた。

またfacebook Likeボタンの幅が広すぎたので100pxほど縮めたほか、mixiのボタンやTumblrのボタンは取ってみた。


これでようやく投稿ボタンが表示された。ググればすぐに分かったのだな、やれやれ。


2013年5月14日火曜日

見られてますよ、あなたのメールアドレス

 仕事で交わす名刺に書かれたメールアドレスは、だいたい主の名前です。名字だけ、フルネーム、ファーストネームだけ……。順番も氏→名の場合もあれば、名→氏のこともあります。キャピタライズする、ドットを入れるなどいろいろですが、たいがいは名前です。
 最近仕事で、学生数十人の名刺データを触る機会があって、彼らのアドレスの多くが名前とはあまり関係のない文字列であることに気付きました。

 学生のうちはそれでも困らないでしょう。交換するのは友達同士だったり、各種サービスを受けたり使ったりするための登録用でしょうから。しかし、学生時代につくったアドレスでも、社会人になる過程で使う可能性があるなら、就活で使うなら、相手にどういう印象を与えるかということについて、考えてみてもいいかもしれません。

 例えば、ちょっと口に出すのは恥ずかしい文章をアドレスにしていたり(必ずしもエロいものではなくとも)、子どもじみた名前、厨二ぽい文字列だったりすると、もらった人はどう思うでしょうか。「友達同士で使ってただけなのに…」という学生のノリを、「微笑ましい」と流してくれる人ばかりではないでしょう。

 アドレスなんて最初に一回打ち込めばあとは気にしないし、こちらから先に送れば、相手は返信する形になる(登録も勝手にされる)ので、深く考えることに大して意味はないのかもしれません。それに「プライベートで使うんだから何にしたっていいじゃないか」と言われればそれまでです。ごもっとも。
 しかしそれなら完全にプライベートでしか使わないという線引きは必要だと思います。

 ここでいいたいのは、何もアドレスを名前にせよということではありません。僕は、シブいアドレスの人がいると、つい由来を想像したり、場合によっては聞いちゃったりします。それくらい、その人に興味がわきます(そういえば携帯のアドレス診断なんか、性格分析がありましたが)。

 アドレスの付け方も人となりを示すための、いいプレゼンの機会にすることができるのです。趣味や格言、好きな物事……せめて何か話のタネになるようなものにしておきたいところです。

 仕事や就活などでつかうのであれば、それなりにこだわりの文字列を考え抜いてつけるか、名前にしてしまってもいいでしょう。その利点としては、名前が何通りかの読み方ができる人であれば、アドレスのアルファベットで相手は読み方を伝えることができます。。私の場合だと、「まさる」なのか「ゆう」なのか、アドレスで相手は分かります。
 また僕はフルネームの場合は必ず氏を先に表記するようにしていますが、そこにもこだわりの理由があります。

 自分の名前は自分ではつけられません。ですが自分のアドレスは(会社から与えられるものでなければ)自分でつけられます。考えすぎてイタいアドレスになってもいけませんが、少なくとも、自分のアドレスをみて自分のセンスが値踏みされているかもしれないということは、覚えておいて損はないと思います。



2013年5月2日木曜日

「同業者がヒクくらいにやれ」――電子書籍セミナーで学んだこと


 電子書籍のセミナーに2日続けて出席した。
  
 1日はAdobeのDigital Publishing Suite関連で、ADPユーザの企業担当者が登壇して事例を述べる内容(パネルディスカッションもあり)。無料セミナーだけに宣伝臭が強いのはさておき、“ADPユーザ”というくくりでは大きすぎと感じた。ADPでいろいろできるのは分かったが、制作の人間としては、自分が取り組んでいる業務内容に即した内容について掘り下げた内容だったらよかったなぁと感じた(このセミナーがちょっと面白かったのは、背広姿の参加者が多かったこと。いつも出るようなセミナーはラフな格好の出席者が多い)。 

 2日目は半蔵門で行われた、士業の方々に向けたセミナー。自分は税理士でもって会計士でもないが、縁あって末席に座らせてもらって聴講した。参加者に「電子書籍の筆者になりませんか」という提案含みの内容で、講師はサニー久永さん。恥ずかしながらサニーさんのことは今回知ったのだが、セミナーの内容はかなり具体的で面白かった。いつもより短い時間に凝縮したセミナーだったらしく、若干の消化不良感はあったものの(致し方ない)、無料でいいんだろうかと思うほど役に立ちそうな内容だった。 

 終了後、懇親会があるというので出席。会場近くの店で十数人で飲みながらセミナーの感想や、出席者それぞれが電子書籍を出すとしたらどういう内容がいいか、どういった目的でやるか、などを話し合った。サニーさんにも少しばかり話をうかがった(主役は士業の皆さんなので邪魔しないよう)。 

 たまたま隣り合わせになった方が最近独立したとのこと。同業者との差別化をどうすればいいか、ブランディングをどうしたらいいか考えているとという。電子書籍の活用を中心に話し合ったのだが、単に「税理士が書いた」「会計士が教える」では電子書籍のウリにはならない。出すからには売れるものにしたいし、売れなきゃブランドは確立できない。そうなると鶏が先か卵が先かという話のようだが、自分の打ち出し方、売り方の“方向性”は考えなきゃならない。

  しかし誰しも自分のことを客観視して、どの部分、どの要素ならセールスポイントになりそうか、なんて分からない。たとえ分かったとしても、どうやってアピールすればいいか、アイデアはそうそう浮かばない。そういう、いわゆるセルフブランディングの話になった時のサニーさんのアドバイスに目から鱗が落ちる思いだった。

  それは

 「同業者がヒクくらいやったほうがいい」 

というものだった。

  もちろん、「同業者がヒクようなやり方をしろ」といっているのではない。同業者はライバルの戦略、やり方を注視しているだろう。しかし、それ以外の人の視線を集めるのは難しい。「自分を売る」ということに慣れている(長けている)ならともかく、普通に自己アピールなんかやろうとしても、ついこじんまりとまとめてしまうものだ。周囲が「やり過ぎ」と思えるくらいやらないと、注目なんてしてもらえないのだ。 

 当たり前といえばそうなのだが、思い切りが必要だ。人は他人になど大して興味がない。だから関心をもってもらうには、分かりやすくして、打ち出したいポイント以外は排除したほうがいい。 

 それは記事の書き方にも通じると思う。
 本当はこんな話も聞いた、本筋じゃないけどあんな情報もある、なんてことまで書いてたら、何がいいたいのか読者の伝わらない記事になってしまう。本当にいいたいこと以外は思い切って落とす勇気、誤解を招くことを恐れない心構えが必要だ(嘘はダメだし、目立つこと最優先でやり過ぎると読者にあきれられるが…)。 

 自分の100%思い通りには相手には伝わらないし、すべてを受け止めてもらえる、期待する形で理解してもらえるなどという考えは不遜だし、幻想だ。少しでも自分の期待に近い理解を広げるための努力は必要だろうが、理解度が100%に近くなくてもいいから、関心を持ってくれる人を増やす段階というものもあるのではないか。記事にしろセルフブランディングにしろ、「これがウリです」とはっきりさせること。 

 その結果、敵が生まれるかもしれないが、むしろそれは歓迎すべきことではないだろうか。自分を偽ってはいけないが、まゆをひそめられるくらいの思い切りが必要だということは覚えておきたい。



(サニーさんの著書、遅ればせながら読んでます)

2013年2月20日水曜日

「やるやる詐欺」は被疑者も被害者も自分だ

アウトプットの機会を自ら作ることの意義


「やればできるのに」は 「やらずに先送りしていれば、本当はできないかもしれない現実を突き詰められなくて済むということなんだよな」−−。

 先日、セルフブランディングに関する取材をして、こんなことを思って反省した。

 話を聞かせてくださった方が、「アウトプットの機会は無理にでも作ったほうがいい。機会があると強制的にインプットするようになるし、意見をもらえるようになったり知り合いも増えたりする」とおっしゃっていて、しごくもっともだと思い、同時にギクリともしたのだ(記事が未公開なので取材の詳細は伏せる)。

 ここでいうアウトプットは、何も本や雑誌の記事を書いたり講演したりという大げさなものでなくてもいい。ブログを書くのだっていい。何かをインプットしたら、せっかくだからアウトプットしたほうがいいというのはもっともだと思う。しかしそれは「言うは易く行うは難し」で、続けることは難しい。自分もそのハードルの高さを感じている。、このブログのエントリの頻度が下がっていることがそれを証明している。

 だが自分にも書きたいテーマ、調べたい、詳しくなりたいテーマがいくつかある。以前からあるテーマもあれば、最近思いついたものもある。特に思いついたばかりのあるテーマは、大変そうだがやりがいも意義もあると思っている。ならすぐにでも書き始めればいいのだが、つい「このブログ(書きながら考える、考えながら書く)にはテーマがあわないので別ブログにしたほうがいいだろうなぁ」「ちゃんとインプットをある程度して恥をかかないようにしてから始めたほうがいいよなぁ」と思い、始めるのをためらっていた。

 そこで気づいたのは、これではやるやる詐欺ではないかということだ。この詐欺は被疑者も被害者も自分だから、余計にたちが悪い。四の五のいわずに書けばいいわけだから、まずは始めよう。このブログの更新頻度を上げつつ、書きたいテーマについては別のどこかで早々に書き始めたいと思う。

2012年6月30日土曜日

SHAREの時代のまちづくり――福岡県大刀洗町から届いたモノ



ソーシャルメディアが
広げてゆく

 昨日の官邸前デモの参加者数は、主催者発表で約15万人だったそうだ。警察発表では1万数千らしいが、主催者発表なんてそんなもの。それにしても報道であの群衆を見て正直、驚いた。何も「こんなに集まるのはおかしい」と思っているわけではないのだが。Twitterのタイムラインを見ると、デモを知った/参加したきっかけの多くがTwitterやFacebookで拡散した情報に触れたことだったようだ。津田大介さんの著書『動員の革命 ソーシャルメディアは何を変えたのか』(中公新書ラクレ)ではないが、今やソーシャルメディアが、大勢の人を動かす、大きなインパクトを持っているのは間違いない。

 ソーシャルメディアが広げるのは、「共感」といわれる。自分がいいと思ったものや心が動かされたものを、ワンクリックでシェアできる。『シェア<共有>からビジネスを生みだす新戦略』という本が発売されてベストセラーになったのはもう1年以上前だったと思うが、「シェア」という概念はすっかり浸透している。「シェアハウス」もメジャーな存在になった。

 「シェア」は新しい考え方ではないが、「オープン」や「ソーシャル」と共に時代を表すキーワードとなっている。新興国も経済成長を遂げるなど、世界中の多くの国が豊かになった。環境負荷の懸念は世界規模で高まっている。新しくモノをつくるよりは、すでにあるモノをシェアする時代になっているのだろう。あまり使わないモノ、環境に負荷となるモノをなるべくもたず、シェアするライフスタイルは、都心部での車との付き合い方を考えれば分かりやすい。「シェア」の仲立ちをソーシャルメディアが担っている。

「大刀洗」という町から
届けられた“キラキラ”

 先月、福岡に住む知人から封書が送られてきた。彼女が住むのは「大刀洗」という町だが、ご存じだろうか。
 福岡県の南部に広がる筑後平野。この地域で有名なのは久留米市だろう。この平野の北寄りに大刀洗町がある。「太刀を洗う」というその響きからも想像できるかもしれないが、名前の由来は(南北朝時代の)武将が太刀を洗った川があること。その川が大刀洗川と呼ばれるようになったことのようで、以前には「太刀洗」という表記もあったという。人口は1万5000人くらいの、そんなに有名な町ではない。もし聞いたことがあるとすれば、旧陸軍の飛行学校や飛行場があったことくらいではないだろうか。

 その大刀洗町では、行政、NPO、住民が一緒になった新しい形のまちづくりが進められているそうだ。役場内に事務所(大刀洗ブランチ)をつくり、NPO法人地域交流センターが全国公募で採用したスタッフを派遣。逆に町役場からは、同センターの津屋崎ブランチ(福岡県福津市。旧津屋崎町)へ4人の職員が出向、そこでまちづくりに取り組んでいるという。

 送られてきたのは、大刀洗ブランチの活動をまとめた冊子だった。24ページ(1折半)、A4正寸中綴じ4Cの小冊子。田園風景や町民たちの生活の様子、企画やイベントのレポートが写真とともに掲載されている。

 正直最初は、この冊子の目的や、活動の内容や目的がよく分からなかった。新しい形のまちづくりと言っている以上、「あぁ、あれか」と比較できる情報がないので仕方ないのかもしれないが、ウェブサイトやブログもあわせて読んで、取り組みの様子が分かった。活動については、オルタナでも紹介されている

ウェブ上での町の情報発信や、地元の物産を販売する市場の広報物の作成、市場を盛り上げるための仕組みの企画、またワールドカフェ形式の語り合いの場の運営など仕事は様々。こうした活動を通して、町内に散らばる素敵なモノ・コト・ヒトを思ってもいない関係で結び、新しい価値を生むことが目標だ。
ということらしい。 


 冊子のタイトルは『おもやい大刀洗』。





「おもやい」とは、「仲良くわける」とか「一緒に使う」といった意味の方言。英語でいうなら「share」だ。この冊子につけられていたカガミには、


「おもやい」とは、大刀洗弁で「分かち合う」という意味です。この冊子の歓声と大刀洗町のキラキラを、応援してくださったみなさまと分かち合いたいと思い……

 と書かれている。なるほど、冊子の写真や文章からは、関係者の思いや地元に対する気持ちが伝わってくる。町への愛情を持った人たちが、同じ価値観を分かち合いたいと思える人たちに向けて送った、愛すべき小冊子、掌冊子といえる。


 送り主とはFJを通して知り合いになった。私が筑後地方に住んでいたことがあるのを知って送ってくれたわけだ。
 私が昔住んでいたのは、福岡県大牟田市。福岡県の最南端の旧炭都だ。主に「筑後版」の記事を書いていたこともあり、筑後地域については愛着がある。正直、大刀洗町のことはよく知らなかったのだが、東京で福岡出身者に会うと嬉しいくらい、福岡県にも愛着がある。だから大刀洗ブランチの活動は応援したいと思う。何ができるというわけではないだろうが、活動が関係者の期待する形で実を結んで欲しいと願っている。


 ところで前出の津田さんの著書にはこう書かれている。

地域で情報を発信し、ムーブメントを起こしていくためには、まず母体となるコミュニティが必要です。コミュニティをつくるためには、ソーシャルメディアは有効な手段です。(中略)コミュニティをつくる際には3年を目安にする。

 とある。津田さんの意見を絶対視するつもりはないが、参考にしてもよいのではないだろうか。大刀洗ブランチも活動をはじめて2年目に入ったそうだ。3年といわず長期の視点ももっているのだろうが、特に今年度、来年度の活動には期待して注視したいと思った。

* * * * *

編集者としてこの冊子を読んで

 この冊子を持って思ったことが、このほかにもいくつかある。
 まず冊子のつくりに「惜しい」と思った。上で触れたカガミにあるように、これはあくまで関係者に向けた冊子であって、新たなファンの獲得を目的にしたものではないのだろう。だが今回私が手に取ったように、大刀洗ブランチのことをよく知らない人間が手に取ることもある。そうした視点を持った編集がなされていてもよかったのではないだろうか。たしかに丁寧につくられているし、読み手が前向きに読めば伝えたいことは分かる。繰り返すが目的が異なるのであれば「お門違い」ということになろうが、それでも「もっとこういうつくりにすればいいのに!」と思うところがあった(水を差すつもりはないが、仕事柄どうしてもそういう見方になってしまうのは容赦してほしい)。

 もう一つは、NPOに対する自分の理解が浅いということだ。自覚的ではあったのだが、改めて思い知らされた。この冊子と大刀洗ブランチについても、冊子を受け取ってすぐに文章にできなかったのは、よく分からないものは文章にできないからだ。今回は、自分なりにサイトなどを読んで、多少は分かってきたので(現場も見てないし取材もしてないが)文章にしてみたが、そもそもNPOなる存在については、分かったようで分かっていない部分が多いようだ。

 本稿は書きながら、いろいろと思考が脱線した(お気づきになられているかもしれないが)。可能な限り本筋とは関係ないことは割愛したが、いろいろと気づきがあったのは収穫でもあった。