2024年3月17日日曜日

『常識として知っておきたい裏社会』ーー裏社会の問題、他人事だと片付けてはいけないこと

 

常識として知っておきたい裏社会』(彩図社、懲役太郎、草下シンヤ)読了。元ヤクザのYouTuberと、裏社会に精通した編集者の対談形式で読みやすい。

懲役氏は名前通り、収監された経験がある元ヤクザとのこと。氏が現役だったのは暴対法の改正や暴排条例の施行などでヤクザ・暴力団への締め付けが厳しくなる前ので、今のヤクザを取り巻く環境を見て隔世の感を覚えている様子。ただいろいろ変わったとはいえ、ヤクザの論理や社会がどういうものか、(おそらく)変わらないであろうこともあるはずなので、氏の体験と、そのときの気持ち・考えを興味深く読むことができた。

ヤクザは辞めてからが大変

ヤクザの世界は、フィクションの映画やドラマ、アングラ系の雑誌・ニュースなどでしか知らないものの、そこには、おそらく(真実とは)当たらずとも遠からずのことが書いてあるはずなので、本書に書かれていることを読んであらためて、「ああ、やっぱりそうなのか」ということもあったし、全然知らなくて驚かされたこともたくさんあった。

そして、経験者が語っているだけに、ちょっとした記述からリアリティが感じられた(ごちそうさまを言ってはいけないとか、懲役ならシャブでは行きたくないとか)。

ヤクザや暴力団に関連した話題で必ず出てくるのが”辞めた後”の話(セカンドキャリア?)で、辞めても銀行口座すら作れない、という嘆きの声は必ず聞かれる。たとえばこういう記事がある。

金融機関の規定には、反社会的勢力との取引を拒絶する暴力団排除条項が盛り込まれている。暴力団組織が不当に活動資金を得る温床になりかねないとして、金融機関は組員から口座開設を申し込まれても応じていない。

ただ、組員かどうかは金融機関が持つデータベースなどに基づいて独自に判断するほか、離脱後も5年間は組員とみなす「元暴5年条項」を設けている場合もあり、「離脱した」と訴えてもすぐに口座を作るのは難しいのが現状だ。給与の振り込みを受けられないなど、社会復帰の妨げにもなっている。(朝日新聞
 

これについては、賛否両論ある。賛成派からしてみれば「ヤクザになるということはそれだけのリスクを背負うということで、自分が過去にした決断の因果なんだから引き受けるべき」なのだろうし、反対派は、おそらく「過去を悔いて辞めたのに、いつまでも過去を理由に不利益を被らなければいけないのはおかしい」と考えるだろう。

どちらの言い分にも納得できる部分がある。

ただ、暴力団の根絶を目指す一方で、現に暴力団員は存在しているのだから、辞めた後まで厳しい状況に置いてしまうようだと、「辞めたくても辞めようがない」状態を作ることになってよくないのではないだろうか。

たとえば犯罪をしたものの、懲役などで罪を償った人に対して、いつまでも”前科者”として色眼鏡をかけて見続けてよいものなのか。一度ミソをつけた人が再出発する上で、そうした社会、環境は障害になるのは間違いないだろう。

しかし、一方で性犯罪者に対しては(再犯の可能性という観点から)罪を償った後にも一定の制限が課せられるのは致し方なしという気もする。

「ヤクザ・暴力団員は他人事」ではあるものの、彼・彼女らが直面する問題・課題は、ヤクザ・暴力団と関係ない人であっても、図らずも考えなければいけないときが来るかもしれない(答えは出ていない)。

半グレ・外国人のマフィア化の問題

本書を読んで、この問題とともに深刻だなと感じたのが半グレの存在だ。関東連合の名前はニュースなどでときどき聞いたな、という程度だったが、要はヤクザ・暴力団ではない、犯罪行為含めて悪さ・良くないことをしてる人たち。

何が問題かというと、半グレは暴対法・暴排条例で取り締まれないということだ。

たとえば、昔だったらヤクザの組員、暴力団の構成員になりそうなヤンチャな若者がいたとして、「ヤクザは法令でガチガチに取り締まられるし、辞めてもキツい。でも半グレならそんな心配がない」と考えて半グレ集団に入っていく。そして警察は実態を把握できない、という状況になっていると考えられる。

そうすると、「ヤクザ・暴力団なら管理できてたのに……」ということになって、暴力団排除をすればするほど、違ったところでネガティブな影響が生まれるというジレンマが生じる。

さらにここ数年、日本にも外国人が増えており、外国人の悪いヤツらの組織化、犯罪行為も問題になっている。本書ではベトナム人によるマフィア化などに言及されている。

外国人がどのくらい増えているかちょっと調べてみたら、2000(平成12)年が131万人、2023(令和5)年が322万人とたしかに急増している。過去を振り返ると、1950(昭和25)年から1985(60)年までは0.6%前後で推移し、大きな変動はなかったというので、バブルが崩壊し、失われた数十年のうちに増えたようだ。

日本に暮らす外国人のほとんどは善良なのだろうし、犯罪をするのが外国人ばかりだというつもりもない。しかし、どこの国の人間であっても、悪いやつらはいる。日本に住む外国人が増えれば、その中に、そういう輩の数が比例して増えてしまうのは仕方ない。

そうした悪い外国人たちによる犯罪行為も(半グレと同様)、なかなか取り締まれなくなってきているのではないかという心配はして当然だ。警察組織も国際化しなければいけない。

親ガチャと遺伝 マイノリティとどう接していくか

このほかには闇バイトの話、大麻ビジネスの話、警察と刑務所の話などが続き、最後には、伝説のヤクザだったある組の組長の息子が登場している。そこでは「ヤクザの家族(子供)としてどう生きてきたか」について語られていた。

子供の話を聞くにつけ、「親ガチャ」という言葉が思い出された。ヤクザ本人は自分が選んでヤクザになっているからともかく、子供は生まれてきた家がヤクザだったというだけで、「ヤクザの子供」として見られるし、日常的に見聞きすること、生活そのものが”異常”の連続だ。

たしかに、親がヤクザであるがゆえの”いい思い”もあったようだが、それとておそらくは犯罪の(もしくは犯罪に近い)シノギで得られた金銭によるものだろうし、”いい思い”以上の“ヤな思い”もしているだろう(橘玲さんが指摘するところの、選択する環境を含めた遺伝というものからはやはり逃れられないのだと、あらためて思わされた)。

全編を通して、すぐ直接的に役に立つ情報があるわけではない。しかし、社会の表面だけを見ていたのでは分からない、その裏側・奥のほうに(見えない・見えづらいけれど)たしかにある裏社会というものの存在と、そのメカニズム・枠組みの一端を感じることで、表面に出てくること・問題について考える時の補助線が引けるような気がした。

また、ヤクザ・暴力団員以外にも多数存在する”マイノリティ”といかに接していくか。あってはならないが現実に存在するネガティブファクター(と言い切るが)といかに折り合って前進していくか、ということを考える上でも一つの視点になりえるのではないかなと思った。