2013年5月16日木曜日

他人は他人 保育園児が留年してもいいじゃないか

 自民党の教育再生実行本部が「6・3・3」制の弾力化を提言するそうです。中高一貫のメリットは一貫した教育ができることなど複数あるのでしょうが、子どものためになると考えられるなら、硬直化した枠組みを取り払うことはいいことだと思います。ただ読売新聞の記事によると、「地域の判断でできる」とあり、ここが若干気になります。詳しくは提言案を見ないと分かりませんが、それを決めるのは教育委員会ということになるのでしょうか。教委の制度は大阪の例を出すまでもなく、改革が必要な仕組みと思います。せっかくの新しい制度設計が無駄にならないよう取り組んでもらいたいと思います。


 それよりも、こうした仕組みの変更で気になるのは保護者の反応、いかに受け入れるか(受け入れないか)ということです。とかく我が子が他人と違う状況に陥ることを嫌がる保護者が多い。と僕は思っているので、新しい仕組みや制度がどの程度のスピードで受け入れられるか……。保護者が変わらないと、子どもたちの間でも、「違い」を受け入れる雰囲気はできないでしょう。

 先日取材した地方議員の話では、北欧では保育園の段階から留年があるそうです。できないことをできないままにして無理に進級させても、本人にとって良くないですから、いい仕組みだと思います。議員いわく、「20歳のゴールに同じところにとうたつしていればいいんだから」と考えれば、たしかにそです。この場合の同じところ、というのが進学する大学の偏差値レベルではないことは当然です。

 こうした留年は、日本の現状では取り入れるのは難しいのではないでしょうか。飛び級の話もあまり聞きませんが、一人だけ先に進級することに対して、同級生に抵抗感があるからと聞いたことがあります。すんなり受け入れられない、溶け込めない、異端扱いされるという訳です。

 自分や周囲の人間と違うことが、からかいやいじめの対象、理由にされることが多いと(印象ですが)思います。そうした意識を変えるにはどうしたらいいのか。妙案はありませんが、そこが変わらなければ、せっかくの仕組みも無駄になってしまうのではないでしょうか(順番が逆かもしれませんが、仕組みが変わることによる意識の変化にも期待したいと思います)。 

 「他人(ひと)は他人」ということは、言うだけならたやすいですが、なかなか実践は難しいものです。子どものお友達が習い事をしていたら、「うちもさせなきゃ」と焦る気持ちも分かります。しかし「みんな一緒」がよかった時代は終わり、これからはむしろ、どう差別化するかがカギだと思います。そえは自身も子どももそう。ただ違えばいい訳でもないので、いかに効果的な違いを生み出せるか……。評価される違いを生み出すまでの過程で生じる“同調圧力”には負けないようにしたいと思います。