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2013年7月29日月曜日

不動産サイト完成 リスティングしたいがアドワーズは難しすぎる

 

 不動産サイト「東京4万暮らしドットコム」を公開した。先日エントリを書いたように、WordPressと不動産プラグインを使って、最低限の機能だけの盛り込んだ。どういうサイトかというと、23区限定で家賃が4万円台までの物件だけを紹介している。運営している不動産会社に協力をしている形で、コンセプト的には目新しいものではないのだが、安い物件をたくさん紹介するサイトはたくさんあっても困らない。

 公開したといはいえ位置づけはβ版なので、リリースなどはしていない。だからアクセスはまだこれから稼いでいくつもりで、やはりAdwordsは外せないだろうということでちょっといろいろ調べてみたのだが、しかしこれは本当に分かりづらい。



 リスティング広告とはつまり、検索結果に連動して表示される広告のことで、Googleの検索結果画面の「上」と「右」に出てくるあれだ。Gmailのトレイにも表示されているが、要は入力した言葉に関連した広告が出てくるので、その言葉に関心がある人の目に留まりやすいという立て付けだ。広告の表示はオークション形式で、ある単語に対して高い値段をオファーした人のほうが上に出てくる。広告主は、1日あたりの広告予算と1クリックあたりいくらまでなら払えるかを決める(上限クリック単価)。実際のクリック単価は、必ずしも上限クリック単価になるわけではない。

 とりあえず書店に行って、参考になりそうな書籍を3冊ほど買ってみた。 まだキャンペーンをたてていない(広告を出していない)ので成果はなく、実際にどれだけ役に立ったのか検証はできないのだが、現状の感想をそれぞれ書いてみると、

これは基本的な理解をするのに役に立った。Adwordsがどんなものか、ログイン画面の見方、まず何をして次に何をすべきか、そういったフローがイメージできた。表紙絵から想像がつくように、ある会社がリスティングでネットショップの売り上げ増をめざす、その過程が漫画をおりまぜながら紹介されている。

これはちょっとA4変型と上の書籍(A5版)よりも大きく、若干詳しい人向け。とはいってもかなり基本が抑えられていて、読みやすそうだ。最初の本が「とりあえず着手」の一冊だとすれば、こちらは若干概念についても触れている。LPOの項にとりあえず付箋をつけた。

今回のサイトはWordPressを使って作ったこともあって、こちらの書籍も買ってみた。内容的には思ったよりWordPress寄りの中身が多いし、目新しい内容は多分ないんだろうと思うが、ちゃんとまとまっているので素人にはありがたい内容。全部読んだわけではないけれど、リンクポピュラリティの統一などは参考にして対策した。

 書籍を読むだけでなく、アカウントを作ってキーワードプランナーなどを触っているのだが、これが分かりづらい。たとえば以前はキーワードツールというものがあったようで(近々使えなくなる)、現在はそれぞれ使える。検索するとその違いについても説明されているのだが、正直よく分からない。
 中に入って「ツールと分析」という項目をドロップダウンすると、御見積計算ツール、プレースメントツール、コンテンツターゲットツール、コンバージョントラッキング、広告プレビューと診断など、想像がつくようなつかないような項目がズラリと出てくる。
 
 まずはこれだろうと「キーワードプランナー」をたちあげると、

・ キーワードと広告グループの候補を検索する
・ キーワードを入力またはアップロードして見積もりを取得する
・ キーワード リストを組み合わせる

と出てくる。
 何が出てくるのか分からないのだが、たとえば一番上をクリックすると、宣伝する商品やサービスを指定、リンク先URLやカテゴリを決め、ターゲット(日本とか、東京だけとか)を決め、検索言語や除外キーワードなどを指定していく。「カスタマイズ」というところに「キーワードフィルタ」「キーワードオプション」などとあって、もうこのあたりから頭が痛くなってくる。

 適当に触りつつも、一番下の「キーワード リストを組み合わせる」というところにいくと、キーワードを入力するテキストボックスが複数でてくる。おそらくこれは、それぞれのボックスにある単語を組み合わせて候補を出してくれるのだろう。


 よく分からないので、リスト1に「不動産」「物件」などを、リスト2に「安い」「格安」などを入れてみる。

 組み合わせたキーワードのリストは出るのだが、これだけでは何も分からない。

 要はリスティングは入札形式なので、広告主がいくらくらい出す気があるのか示さないと何も答えてくれないわけだ。

 ということで、しぶしぶ数字を入れてみることに、ここでは「入札単価」を「200円」、「1日の予算」を「10000円」にしてみた。あまり意味はないのだが、すると以下の要になった(エリアは1都3県に限定している)、


 クリック数や表示回数、費用などが表示されるのだが、なぜか「0」という項目もある。これがなぜなのか分からない。それぞれの項目についても、何となく想像はつくものの、それが正しいのか分からない。

 広告を出す場合は「キャンペーン」なるものをつくり、キャンペーンごとに単語や予算などを決めたりするらしいのだが、キャンペーンの管理画面もよく分からない。そもそもAnalyticsといい、どうしてこうGoogleのサービス管理画面は分かりづらいのだろう。英語で作られたものを訳しているからという程度のものではないと思う。広く万人に使ってもらいたいサービスではないからなのだろうか……。


 業者に知恵を借りようとも思っているが、まったく知識もないままに発注しても良い成果が得られないだろうということで、今回いろいろと調べて触ってみた。やはりキャンペーンをたてて実際に運用してみないと分からないことが多いことは分かったので、まずはトライしてみよう。




2013年6月21日金曜日

WordPress+不動産プラグインでサイト構築中


 WordPressに不動産プラグインを入れてサイトを制作しています。WordPressはちょっと前から触り始めたのですが、ひと昔前はCMSといえばMovabletypeと思って使い込んでいたので、また新たに覚えなければいけないことも結構あって大変です。

 しかしこのプラグイン、不動産サイトを立ち上げるために必要な最低限の機能は無料でできてしまうので、すごくいいです。サーバー代やドメインにかかる費用などもけちってしまえば、ほとんどお金をかけずに不動産サイトがつくれます。おそらく一番大変なのは物件情報の入手と入力ではないでしょうか。レインズなどに加入していれば、そこはクリアできますがお金はどうしてもかかります。
 このWordPress+不動産プラグイン、ちょっと踏み込んだことをしたりデザインテンプレートを入れようとしたりすればお金はかかりますが、今回はこうした機能面にはお金をかけずにサイトを構築していきます。

 まず基本部分の導入についてはここに詳しい説明があります。不動産プラグイン以外にも、動作が確認されているプラグインを入れていきます。さらに以下のプラグインも入れました。

 デザイン面では、TwentyElevenをベーシックに子テーマを作成。左メニューの2カラムにして、サイトタイトルを画像に変更しました。右上の検索窓のところにも問い合わせ用バナーを設置。
 インストールしたプラグインのうち有効化しているのは、

Contact Form7
Easing Slider "Lite"
Executable PHP widget
Flamingo
Google Analytics
Last viewed Posts
post-views
Twenty Eleven Theme Extensions
WordPress Database Backup
WordPress Google Analytics Reports
wp-jquey-lightbox
WP-Optimize
Wp Multibyte Patch
WP Social Bookmarking Light

 です。このうちWP-Optimizeは使うときだけ有効化しています。プラグインは便利ですがあまり入れすぎると重たくなるというので、あまり数を増やさないようにしたいと思っています。

 実現したいけどできていないことを整理しておくと、

・ ウィジェットでエリアの名前にカーソルをあわせると(hover)、隣にある地図の該当部分の色が替わる(CSSとjavascriptかな)
・ 路線名の一覧や駅名の一覧を表示させたときに、該当物件数をカウントして横に表示させる(javascriptかな)
・ タグ、タクソノミーの使いこなし
・ ヘッダー部分・中央へのバナーの追加

などなど。jQueryとかPHPとか、もうちょっと分かるようになっておけばよかったと後悔しています。

 サイトはクライアントチェックが終わったら紹介したいと思います。

2013年6月7日金曜日

なかなか見つけられない「専門分野×得意・好きな分野」

 藤沢数希さんの「金融」と「恋愛」、内藤忍さんの「投資」と「ワイン・グルメ」など、仕事などの専門分野と、自分が好きな(または得意な)分野を持っている方は、コンテンツを生み出す力があります。それぞれの要素がそんなに珍しくなくても、組み合わせによっては、ユニークな(他にいないという意味で)存在になれる可能性が高くなります。自分はこれまでいろいろ(趣味でも仕事でも)手がけてきましたが、いずれも突き抜けるところまではいっていない、いい組み合わせが見つけられていないと反省しています。

 先日、友人のサリーさんが書籍『「おいしい」を科学して、レシピにしました。 』(サンマーク出版)を上梓されました。京大農学部卒業時に総長賞を受賞した彼女は今春、大学院を修了されたばかり。学生時代からELLEオンラインで「Sallyの科学なごはん帖」なブログを連載されています。

 そんな彼女の得意分野・好きな分野が「科学」と「食(料理)」。その組み合わせで出版甲子園でグランプリも獲得されているほどなので、友人ということを差し引いても楽しみにしていました。

 本書では「鶏肉のママレードソテー」「トマトチーズ飯」「生姜の炊き込みご飯」「塩鮭と白菜の蒸し煮」など37のレシピが紹介されています。1レシピ見開き2ページで、左ページには材料と簡単な手順、サリーさんらしい科学的な紹介文、右ページは写真という構成。科学的な紹介文の一例を紹介すると、例えば「イタリアン肉味噌」の項目では

玉ねぎの辛みや目にしみる成分である硫化アリルは。炒めるとプロピルメルカプタンという甘み成分に変化します。硫化アリルは揮発しやすい成分なので、玉ねぎの甘みを生かしたいときには、切ってすぐに炒めるようにしましょう(後略)

 といった具合。ほかにも別のレシピでは、枝豆の緑色であるクロロフィル、うまみ成分のグルタミン酸などについて言及されています。なかなか他のレシピ本ではお目にかかれないような紹介で、ちょっとした読み物としても面白いと思いました。

 彼女は「生き物がつくられる仕組みを学ぶため」農学部に入り、「料理がおいしくできる仕組み」があることに気づいたといいます。自身のプロフィールに「食道楽の家に生まれる」という表現があるくらいですから、大学に入る前から「食」というものには(意識していたかどうかは別にして)ゆかりが深かったはずですが、ついに大学で自身の専門である「科学」と「食(料理)」がリンク。ブログを書いたり本を出版したりという活動につなげています。「大学の図書館では、食品額の棚のどの本に何が載っているかほとんど把握していたほど」だそうで、研究の深さがうかがえます(それくらいやらないと「好き」「得意」とはいえないのでしょうが)。

 別の見方をすれば、「好き」と思えば勉強して研究して「得意」な分野にできるということだし、(この言葉いやがる人もいるかもしれませんが)「差別化」「パーソナル(セルフ)ブランディング」になるということでしょう。

 一つひとつの要素は珍しくなくてもいい。でもそれを掛け合わせることで、他の人にはないモノを生み出せる……。と、これは以前取材させてもらった内藤さんがまさにおっしゃっていたことでしたが、まさにその通りだと思います。

 専門分野  ×   得意分野
(____) ×  (____)

 あなたは何を入れるだろうか。
 自分なら何を入れられるだろうか。入れたいだろうか−−。
 
 入れるべきもの、入れられるものに気づいていない人が意外と多いのではないだろうか。

2013年5月20日月曜日

待機児童ゼロ達成 賞賛の一方で検証も必要だ



 横浜市の林文子市長が本日5月20日の会見で、待機児童がゼロになったと発表したそうです。ハード面の設備を充実させたことや、利用者と直接連絡を取り合ってサービスや保育所を紹介したりする保育コンシェルジュ制度の導入、役所内の連携など、いろいろな取り組みが功を奏したということでしょう。

 横浜の状況については先日、地元議員に取材をして、なかなか全国ニュースにはならない、現場の実態や悩みを聞きました(近いうちにインタビュー記事として公開したいと思っています)。実際には前の中田宏市長時代から、保育に関する取り組みは改善されていたようですが、最近のニュースでは高く評価されている「横浜保育室」については報じられていない限界がありそうですし、保育所などを急に増やしたことによる新たな問題もあるようです。それに、「本当にまったくゼロ」ということは、おそらくないでしょう。とはいえ、統計上でも一旦はゼロになったということを前向きな評価してもよいのではないでしょうか。

 「ちょっと待て」という市民はたくさんいると思います。想像ですが「保育サービスを利用できてはいるけれど希望とはほど遠い」とか、「うちは横浜保育室を使ってるけど本当は認可保育所に預けてもっとがっつり働きたい」とかいう家庭は少なくないと思います。また夏に控えた市長選に向けたアピールだという見方をする人もいるかもしれません。問題もたくさんあると思います。

 それでも、数年前までの市のサービスや設備だけでは保育所に入れなかった子どもが、ここまで充実したために入所できたというケースは少なくないでしょうから、やらなかったままだったことを想像して比較すると、絶対にやってよかったと言えるのではないでしょうか。

 取材の際に議員に紹介してもらって購入したのが上に画像を貼った「調査季報 vol.172 特集 横浜の子育て支援」です。市役所で500円で売っていますが、webで記事が無料公開されています(!)。これをみると、多角的に待機児童ゼロに向けて取り組んできたことが分かります。関心のある方はご一読されるといいと思います。またぜひ関係者(市、保育所、コンシェルジュ、保護者など)に取材したいと考えています。 

2013年5月17日金曜日

「男が働き、女が育てる」が常識という時代じゃない――女性の役員・管理職登用積極化

3メガ銀初の女性役員…三菱UFJが川本氏起用

 先日この記事を夕刊で読んで驚きました。これまで3メガバンクには女性役員が一人もいなかったんですね。「なんて業界だ」なんて思っていたら、イオンが2020年までに女性管理職の比率を50%まで引き上げる方針を明らかにしたそうです。イオンのほうは役員ではなく管理職ということですが、現状は7%とのこと。イオンのような小売り、GMSは女性客が多いでしょうから、7%は低い気がします。業種にもよると思うのですが、日本の企業は全体的に女性の取締役、管理職への登用が遅れているんだろうなという印象があります。具体的にはどれくらいいるんだろうとググってみたところ、東洋経済にこんな記事がありました。こんなもんなんですね。表を見て改めて少なさに驚きました。

女性役員が多い会社はどこか?
パソナ、ニチイ学館、エステーが最多の4人 

 女性役員・管理職の積極的登用について考えると、「女性だから役員になれなかったんじゃなくて優秀な女性がいなかったからでは」という意見が出てきそうですが、そんなことはないと思います。やはり結婚、出産、育児の過程で、オフィスから遠ざかる(遠ざけられる)のが女性ばかりだったから、つまり押し付けて放逐されてきたからというのが一つの理由ではないでしょうか。その過程で女性は残りづらくなっていく、そういう雰囲気をつくってくたのではないでしょうか。三菱UFJのボードに入った川本氏も叩き上げ社員ではなく、外部からの就任です。女性にとって「入社→出世→役員へ」というコースは難しい気がします。

 無理に女性を役員にすることに意味があるのかという意見もあるでしょう。逆に差別なのではないかという人もいるかもしれません。しかし、女性が役員として経営に携わりやすい環境をつくること、そのために数値目標の設定はあっていいと思います。それがないと絶対にやらないはずで、だから今のようになっているわけです。やってみて問題があれば替えればいいでしょう。アファマティブアクションといっていいかはともかく、当面はそうした措置が必要だと思います。
 自民党の「女性力の発揮」っていうキャッチはどうにかならなかったもんかとは思いますが、これまで能力を発揮したいと考えていた女性たちが、性別が男性でないということを理由に重用されなかったり、軽んじられたりということがあったはずですから、それを無くしていくことは必要だと思います。

 この問題は、誤解を恐れずにいうと、障害者の法定雇用率制度の議論と似ている気がします。むろん、女性が障害者であるといっているのではありません。男ばかりの取締役会に入る女性はマイノリティだという意味です。以前、Twitterで、障害者の法定雇用率を無理して守るくらいなら罰金を払ったほうがマシというツイートをしている人がいましたが、それと同じ考えをする人が出ないとも限りませんから、目標の設定は必要でしょうが、ルールを決めればそれでいいというものでもないでしょう。「我が社は女性を登用したくない。罰金払えばいいんだろ」っていうのはおかしな話です。

 そうした変革を実現することで、男性の働くことに対する意識や習慣にも変化が生まれるでしょうし、役員や管理職ではない、一般の女性社員も働きやすくなるはずです。またこれまで「女性の仕事」だった「育児」に男性がより関わるようになることが期待できる点は大きいと思います。

 ただ「我が社は男性だけで経営する」ということが責められるものなのか? ということも考えるべきだと思います。たとえば役員もしくは社員が女性ばかりの会社もあるでしょうし、それを妨げるのはおかしい。だから「義務化すればいい」といった問題ではなく、数値目標の設定とレビューから始めて、業種や規模を問わず、いずれの企業も「他人事(他社事?)」と考えずに議論し、検討することが求められるのでしょう。

 ここでふと、「じゃあ自分はどうなんだ」と自問しました。いま自分が関わっている会社は一人代表ですが、重要な経営方針を決めるメンバーに女性はいません。日常的な方針などは皆に情報開示して皆で話し合っていますが、役員というか出資者、そのメンバーに女性はいません。とはいえ別に避けたつもりはありません。無理に女性を入れろと言われると、それはそれで困るものもありますね。一律に女性を幹部に登用すればいいってわけではないというのもまた正しいのでしょう。

2013年5月14日火曜日

見られてますよ、あなたのメールアドレス

 仕事で交わす名刺に書かれたメールアドレスは、だいたい主の名前です。名字だけ、フルネーム、ファーストネームだけ……。順番も氏→名の場合もあれば、名→氏のこともあります。キャピタライズする、ドットを入れるなどいろいろですが、たいがいは名前です。
 最近仕事で、学生数十人の名刺データを触る機会があって、彼らのアドレスの多くが名前とはあまり関係のない文字列であることに気付きました。

 学生のうちはそれでも困らないでしょう。交換するのは友達同士だったり、各種サービスを受けたり使ったりするための登録用でしょうから。しかし、学生時代につくったアドレスでも、社会人になる過程で使う可能性があるなら、就活で使うなら、相手にどういう印象を与えるかということについて、考えてみてもいいかもしれません。

 例えば、ちょっと口に出すのは恥ずかしい文章をアドレスにしていたり(必ずしもエロいものではなくとも)、子どもじみた名前、厨二ぽい文字列だったりすると、もらった人はどう思うでしょうか。「友達同士で使ってただけなのに…」という学生のノリを、「微笑ましい」と流してくれる人ばかりではないでしょう。

 アドレスなんて最初に一回打ち込めばあとは気にしないし、こちらから先に送れば、相手は返信する形になる(登録も勝手にされる)ので、深く考えることに大して意味はないのかもしれません。それに「プライベートで使うんだから何にしたっていいじゃないか」と言われればそれまでです。ごもっとも。
 しかしそれなら完全にプライベートでしか使わないという線引きは必要だと思います。

 ここでいいたいのは、何もアドレスを名前にせよということではありません。僕は、シブいアドレスの人がいると、つい由来を想像したり、場合によっては聞いちゃったりします。それくらい、その人に興味がわきます(そういえば携帯のアドレス診断なんか、性格分析がありましたが)。

 アドレスの付け方も人となりを示すための、いいプレゼンの機会にすることができるのです。趣味や格言、好きな物事……せめて何か話のタネになるようなものにしておきたいところです。

 仕事や就活などでつかうのであれば、それなりにこだわりの文字列を考え抜いてつけるか、名前にしてしまってもいいでしょう。その利点としては、名前が何通りかの読み方ができる人であれば、アドレスのアルファベットで相手は読み方を伝えることができます。。私の場合だと、「まさる」なのか「ゆう」なのか、アドレスで相手は分かります。
 また僕はフルネームの場合は必ず氏を先に表記するようにしていますが、そこにもこだわりの理由があります。

 自分の名前は自分ではつけられません。ですが自分のアドレスは(会社から与えられるものでなければ)自分でつけられます。考えすぎてイタいアドレスになってもいけませんが、少なくとも、自分のアドレスをみて自分のセンスが値踏みされているかもしれないということは、覚えておいて損はないと思います。



2013年5月8日水曜日

そのFAX、メールじゃダメですか?

 


 FAX使ってますか? 最近いつ使いましたか?



 自分はなるべくFAXを使わないようにしている。プレスリリースがFAXできたら、送り先に連絡してメールに切り替えるようお願いしている。多いところだとA4で5枚にも10枚にもなるので、紙がもったいない。メールにPDF添付して送ってくれればそれでいい。

 紙の節約という意味では、会議で使う資料だって、印刷して配布する必要性の高いものはともかく、そうでないものはなるべく印刷しないで済ませたいと思っている。原稿、ゲラのチェックとか細かな確認はディスプレイよりも紙のほうがやりやすいと思うが、紙で配られる資料のすべてが、紙でなければいけないということはないだろう。会議だって、参加者それぞれが端末を持つとか、スクリーンに投影して全員でそれを見るなど、いろいろ方法はある。

 だがPDFで資料や書類をもらっても、デジタルだけで完結できないことが多い。日本は書類に印鑑を押す文化の国だから、PDFでもらった書類を印刷して押印し、郵送やFAXで戻すことがよくある。それならまだしも、押印した書類をスキャンしてPDFにしてメールで送ることもあって、こうなってくると、「何やってんだ」という思いが頭をもたげる。とはいっても、デジタル署名、デジタル印鑑なんてまだ一般的ではなくて、自分も使っていない。アナログとデジタルの融合……などとひとりごち、ちょっと慰めてみる。

 たしかにFAXは、パソコンがなくても専用機と電話線があれば送れるし、手書きの文字や絵をそのまま送ることができる。メールよりも優れていると言えなくもない点があるような気もする(←回りくどい)。それに企業ならFAXと電話線はだいたいあると思う。

 だがFAXでないといけないということはどれだけあるだろうか。ラジオ番組のリスナーからの投稿とか、24時間テレビの応援FAXとかも、なくなったら主催者側が困るような気もするが、ビジネスではメールへのPDF添付でいいのではないか。メールを使わない会社だって今はあるし、PDFを全員に送らずともクラウド、ドライブにファイルを置いて各自がアクセスする方法だっていいと思う。

 会社を移転にあたって、FAXをメール受信できるサービスも検討した。社内の全員に周知させるのにハードルがあると思ってやめたのだが、ひかり電話のい1回線をFAXに占有されてしまうのは、ちょっと切ない気もした。



 何もFAXそのものがもう無くていいなどと言うつもりはない。会社の書類をすべてデジタルにせよとも言わない。
 でもビジネスでは、オフィスワークの現場では、FAXはもう使わないようにしていきませんか…?。





(ところでFAX送信するよう促してる書類で、送り先番号を紙の上のほうに表示するのって、嫌じゃないですか? 紙を置いて、いざダイヤル()しようと思っても番号見えないし)


(これ、会社で使ってます……)

2013年5月7日火曜日

都立高校のBS公表――分からないことを分からないまま書くかねぇ


 東京都教育委員会が都立高校のBSやCF計算書を公表したそうだ。今年が初めてではないのだが、初めて知った(何となく聞いたような気もするが)。たまたまマイナビニュースの記事で知ったのだが、この記事を読んでちょっとうなってしまった。筆者はBSが読めないんだろうなぁと思ってしまったからだ。この記事や単なる数字の羅列で、解説も何もないから、とてもではないが読みたくはならない。数字を伝えるだけで「なるほど今年はそうだったのか」と読者が納得してくれるような内容なら「単に情報を伝達することが目的」という方便も成り立つだろうが、果たしてそれでいいのだろうか?

 なぜわざわざそんなことを言うかといえば、自分が記者時代、BSやPL、CFなんて分からないのに、前年のスクラップを見て自治体の予算、決算記事を書いていたことを思い出したからだ。恥ずかしながらほとんど何も分かっていなかったので、予算課のレクに厳しくツッコむことなんてできなかった。その自治体にとって大きなイシューであれば、議員もツッコむし事前に勉強することができたので、それなりに解説や批判はできていたと思う。だが、そもそもBSやPLを読みこなせていなかったので、大方の部分についてはポイントがつかめず、何をどう書いていいか分かっていなかった。

 ところでこの記事の目的はマイナビ批判ではない。言いたいことはまず、BSやPLは読めるようになっておいたほうがいいということだ。会計士が書いた書籍にその手のものが結構あるが、読めるようになるのはなかなか大変だ。また、読み方を知識として身につけても、その数字が意味するところを読み取るのは容易ではない(「日経新聞の読み方」を指南した本があるが、あれを読んでも記事の評価ができないと同じか)。かく言う私も、今でこそBSやPLを見て、何となく意味が分かるようになっているが、それでも細かいところまでは分からないし、業種が変わると手が出なかったりする。ちゃんと勉強したわけではなく、「決算書はここだけ読め」とか「バランスシートがすぐに読めるようになる」とかいった本を読んで勉強したのだが、結局役に立ったのは実際のBSやPLを見なければいけなくなってからだ。そうして実物をシビアに見たからこそ、それぞれの項目や数字が持つ意味が少しずつ分かるようになった。

 でもこの手の資料を見ただけで敬遠しているようでは、ダマされても文句は言えないと思う。それはBSやPLに限らず契約書や法的な書類についても同じことだ(この手の書類が誰にでも分かるようになると士業の皆さんが食いっ逸れるからそんなことにはならないだろう)。記者時代の自分もダマされていたかもしれない。いや、ダマされていたのだろう。そんなもの、追求しても「聞かれなかったから」と返されたらぐうの音も出ない。中には自分には必要ないという人もいるだろう。たとえば「ビジネスパーソンとして出世したい、起業して成功したいとかいう人ならともかく、自分には関係ない」というように。そういう人は「ダマされてもいい」と言っているわけだから、聞いてくれなくていい。

 次に言いたいことは、余計なお世話を承知でいうが、この手の専門性のある記事を知識のない記者に書かせていていいのだろうか、ということだ。1本記事を書けばあちこちに転載されてPVは稼げるのかもしれないが、「金かけてないんだなぁ」ということが丸わかりだし、恥ずかしいし、記者のためにもならない。この場合、記者がちゃんと読みこなせrるように勉強するか、読める専門家に読んで解説してもらうこと(場合によっては記事を書いてもらうことまで含めて)をしないと、読者のためにはならない(大手紙なら、たとえ社会部ネタでも経済部に力を借りることができるが、ウェブメディアなどでそれができるとは限らない)。記事1本あたりのコストが下がっている今、なかなか1本の記事にそう労力は割けないかもしれないが、最初にがんばって最低限の「読み方」を身につけておけば、あとは毎年、または年に数回その読み方をツカう機会がくる。最初は大変かもしれないが、やっておいて損はないと思う。同情はするが、解決の選択肢はある。

 冒頭の都立高校のBS、CF計算書は面倒で読んでいないので、ポイントは分からない。たとえ読んだとしても、自分の能力では読み解くことはできないだろうし、「あぁ出版や広告代理店とはここが違うなぁ」という比較くらいしかできないだろう。そもそも今年の分だけを読み込んでも、過去や他の自治体などと比べなければ評価ができないだろうし、そこまでの時間を割くつもりはない。と言っている時点で、紹介した記事の筆者と同じスタンスだといえばそうかもしれないが、誰かやってくれないものだろうか……。

 ところで都や区の予算の執行状況、決算などが配布されると思うが、あれも同じだと思う。本当に都民や区民に状況を知ってもらうための努力がしっかりなされているかといえば、そんなことはないだろう。ひと昔前とくらべれば、グラフや表、たとえなどを使うことで分かりやすく読みやすくするための工夫がされるようになった気もするが、それでも都民、区民の多くがしっかりと読めるような状態にはなっていない。それを都や区に求めていいものかは自信がないが、何とかできないものだろうか、とは思う。


  

2013年5月6日月曜日

ファンなら何が知りたいか――大おもちゃ博で感じたこと


 人気アニメのおもちゃの展示・体験やライブなどがあるイベント「大おもちゃ博」(品川プリンスホテル主催、タカラトミーなど特別協力)に行った。トランスフォーマー、リカちゃん、ポケモン、プリティーリズムなど同社のコンテンツが勢ぞろいで、子どもだけでなく大人も楽しんでいた。会場に入る前に、中で行われるイベントの整理券配布などについての説明があったのだが、これが分かりにくかった。

 説明や会場整理には、タカラトミーの社員、プリンスホテル社員、レコード会社関係者、そして多くのバイトが携わっていたのだと思う(会場に着いてすぐ内容について質問した相手がホテル関係者で、中でのことは分からないと言われてしまった)。そもそもこのイベントはウェブサイトの情報整理がいまひとつで、事前に知りたいことがよく分からなかったのだが、会場での説明も要領を得ず、分かりにくかった。

 なぜ参加者が満足のいくような説明がなされないのか。それは、説明した担当者が、自分が今説明している内容について、“深く”は理解していないからではないか。準備不足とも言えなくはないが、というよりむしろ参加者やファンほどにはその対象を愛していないからだろうと思う。

 参加者は本当にそのアニメやキャラ、テーマ曲を歌っているアーティストが好きで会場に来ている。一方、主催者側の担当者については、皆が皆、そんなテンションという訳ではない。それをプロ意識の欠如と断じるのはちょっと厳しいと思う。このイベントでも、会場整理のため、イベント運営のためのマニュアルが作られ、現場の担当者は粛々と実行しているはず。だが、こちらとしては目的を達成することができるのか(見たいものが見られるのか、欲しいものがゲットできるのか)、一向に分からない。その理由に、対象への思いの深さの違いがあるように思えてならなかった。
 結局、いちいち聞かれると担当者も大変だろうから、係員を呼び止めてあれこれ聞くのは憚られるから、迷惑にならないであろうタイミングを見計らって、どうしても聞いておきたいことは聞いた(結局聞くこともできたし、このイベント関係者を批判したいわけではない。大きな手落ちがあったわけでもないのだし)。

 開場までの待機列で暇潰しにネットを見ていて、「ジャニーズのファンが非公式グッズを買ってしまうのは、公式にはない、痒いところに手が届く、ファン心理をついたグッズ展開をしているからだ」という主旨の記事をサイゾーで見つけて、なるほどと思った。
 ジャニーズの公式グッズを作っている会社や関係者、担当者だって入念にリサーチして、ファンが欲しいと思うであろうグッズを作っているはず。彼らはプロだし、まさに当事者なのだから。
 しかし実際にはファンは非公式グッズを買ってしまう(公式を買わず、ということではない)。非公式グッズを作っている会社や関係者ももはやプロといっていいだろうが、サードパーティーが本家を越えているというのは興味深いことだ(ここでいう「越えている」は売上のことではないし、どう越えているかのデータはない。公式にはないがファンに支持されるグッズが非公式から出ているということだ)。

 こういうことはよくあると思う。ジャニーズの場合はどうか分からないが、ファンが考えたほうが、ファンが欲しがるグッズが作れるのかもしれない。ファン心理が分かるのだから、その可能性は小さくないのかもしれない。
 グッズ制作だけでなくイベント運営でも同じことがいえる。ファンならここに何を求めて来ているのか、今このタイミングでファンならどうしたいとw思うか、そのために何が知りたいのか……。担当者だってちゃんと準備はしているだろうが、「ファンならどう考えるか」というところに思いを馳せているかどうかは自問してもらいたい。さらにいえば「ファンに負けないくらい、その対象について語れるか」ということにも。

 そしてこれはイベント運営だけでなく、サイト運営など各種サービスについて応用できると思う。自分の過去の仕事、経験を振り替えって、そういう想像をすることがいかに難しいかに気づいた。それが自然にできる人が気が利く、仕事ができるということなのだろう。

 お客様の立場に立ってとか言われるが、そんな手垢のついた言い回しや考えではなく、自分がファンになるくらいに対象を愛して考えてみなければ、気づかないことがたくさんあるのだと思う。まさに言うは易し、行うは難しだと思うが、忘れず応用したい。

2013年5月5日日曜日

マスコミイクメン今昔――増えてはいると思うけど

イクメンプロジェクトウェブサイトより)

 こどもの日ということで、読売が朝刊で「『イクメン』が世間を変える」という社説を掲載している。主催イベントのPRをちゃっかりしながら、「男性の育児参加をさらに促す企業努力を各社に求めたい」「親子が気軽に集える場を増やすべきだ」などと書いている。
 育児ネタに限らないが、こうした提言を大手紙などメディアがする時に感じるのが「お前とこはどないやねん」ということだ。

 自分が読売にいた頃は、読売に限らずマスコミは育児を蔑ろにしていたと思う。辞めたのはもう十年くらい前だし、当時と今とでは社内の制度や雰囲気も大きく変わっているだろう。子育て真っ最中の同期たちのFacebookの書き込みを見る限り、彼らはフツーに子育てしている。皆が皆、育児に消極的という訳でもないとは思う。
 ただ当時、仕事のできる他社の先輩から、取材応援で長期出張していて、子どもの顔をみたのは産まれてから何ヵ月も後だったという話を武勇伝のようなエピソードを聞いた。この先輩はたしか他社だったが、自社の先輩からも似たような話を聞いたような気がする。当時(自分がいた地方の記者クラブ)はそんな雰囲気だった。
 あの先輩が本当に、何ヵ月も我が子の顔を見られなかったことを悔やんでないのかは分からない。照れ隠しだったのかもしれない。でも自分としては、そういう未来が自分に待っているかもしれないのは嫌だった。辞めた理由の一つになった。

 この記事の意図は読売をディスることではない。ただ先日、ある地方議会議員の取材で思ったのだが、国や自治体にいろんな制度をつくるよう求める前に、企業が変わらなければまともな育児環境などできないだろう。企業が変わるということはつまり、もしかしたら育児などしたことがない、お偉いさんたちが変わるということだ。

 世の中にはまだまだ、オムツを替えたことのない男性はたくさんいる。ただ自分は何も、子を持つ全員が全員、オムツを替えるべきだとは思わない。そりゃかかりきりんあるのが理想かもしれないが、そうもいかない。役割分担はあっていいと思う。なるべくやったほうがいいと思うし、一度は体験してみるべきとも思う。そうしなければ、本当の大変さはなかなか分からない。そんな人たちがつくった(社内、自治体の)
制度なんて、ツカえたもんじゃないはずだ。
 また「イクメン」という言葉は早くなくなればいいと思う。親が育児をするのは当たり前だからだ。男がしてこなかったからこんな言葉があるわけで、正常な状態とは言えない。自分など、子育てに関して「偉いですね」なんて労われると、面映ゆくて仕方ない。実は育児の多くの部分を妻に任せているということもあるが、できる範囲であれこれやっているのは当然だと思っているし、面白いから、好きだからやっているだけだからだ。こんなに面白い、楽しいことを女性だけにエンジョイさせるなんて、男性として「もったいない」と思う。
 マスコミに限らず、仕事で忙しい日々をおくっているという人が(多くは男性だろう)、勝手に頭の中から自分を育児のプレーヤーから外してしまっている。他の誰か、他の会社の取り組みを言う前に自分のことを考えなければいけない。
 読売の編集委員や社説の担当者など、お偉いさんはどうなんだろうか?

2013年5月4日土曜日

ブレーキ踏み過ぎ注意――知らず知らずに迷惑をかける恐ろしさ


 車を運転していると、“本人は気づいていないんだろうけど後続の車には迷惑な運転”をする人がいる。迷惑といえば、狭い道や交差点そばでの停車や合流しきれずのノロノロもあるが、それらは本人も気づいてるだろうからともかく、気づかれていない迷惑運転の代表格が「頻繁なブレーキング」だと思う。

 何もないところですぐにブレーキを踏む人が多い。ブレーキを踏むとランプがつくからは、後ろの運転手も踏む。するとその後ろも踏んで…と連鎖して、やがて渋滞になる場合もある。
 ATしか運転しない人、できない人、MT車を運転したことがない人にその傾向が強いのではないかと(データはないけど)思う。エンジンブレーキという発想がないからで、減速するためにはフットブレーキしか思い付かないのではないか。 ちょっとした減速はアクセルを戻すなどして対応すべきで、場合によってはギアを2速に下げてもいいのではないか(最近のAT車について、走行中のギアダウンの是非は詳しく知りませんが…)。
 少なくとも自分は、何もないところで減速するのにそうそうブレーキは踏まないし、前の車が踏んだとしても、さらにその前の状況から、単に目の前の運転手がスキル不足で踏んだだけと判断したら(できたら)踏まないで対処しようとしている。

     ほかにも幅員の決して大きくない道での左折で膨らんだりするのも、おそらく本人は気づいてないだろうけど、後ろの運転手は困る。「コンパクトに曲がれないなら小さな車に乗ればいいのに」と思うが、その思いは当然届かない。ミニバンや大きなセダンなんかやめて軽にしたほうがいいと思うおばちゃんドライバーの実に多いこと!!(ダンナと共有だろうから仕方ないけど)。

 大人になると周りが注意をしてくれなくなるし、運転の仕方を誰かがアドバイスしてくれる訳でもないから、本人は後続に迷惑をかける運転をしていることにずっと気づかない。解決は難しいだろう。

 かくいう自分も知らず知らずのうちに迷惑をかけているかもしれない。生まなくていい渋滞を生むかもしれないわけだから、善意だから許されると思わず、気をつけて運転したい。また「気づかずに迷惑をかけることに注意する」という意味では、運転だけではなく仕事でも同じことが言えると思う。後ろをふりかえりながら進んでいきたい。

2013年5月3日金曜日

「アメトーーク! 将棋たのしい芸人」で考えた“言葉の選び方”

 

実現したいことは言葉にしたほうがいい、話したほうがいいといわれる。助力してくれる誰かの耳に入るかもしれないと期待できるということもあるだろうが、言葉にするこで成功のイメージを持ち、成功に近づきやすくなると信じられているということも理由だろう。不吉なことを口にすると縁起でもないと言われるなど、言霊は広く信じられている。前向きはな言葉を使うことで前向きな気持ちになり、可能性や能力を広げられるだけではなく、逆に自分の言葉が自分をしばるということもある。これは何も日本に限ったことではない。海外のドラマでも“Say it”と相手に約束事を言わせるシーンをよく見る。

 だから同じことをいう場合でも、なるべくポジティブな言い回しをしたいと思っている(ちょっと逸れるかもしれないが、お土産を渡す時は「つまらないものですが…」などとは言わないようにしている。「気に入っていただければいいのですが」「お口にあえばいいのですが」といった言い方をする)。 

 しかし自信がないと、ネガティブな言い回しに、知らず知らずのうちになってしまう。 

 昨日、5月2日放送の「アメトーーク!」のテーマ(くくり)は「将棋たのしい芸人」だった。
 序盤、駒の説明をしているときに、香車が好きというペナルティのワッキーがその理由について、ズバッとまっすぐ前に行って戻らないところが、ウケるかどうか分からないネタを思い切ってやって終わったらサッとひく自分に似ているというような説明をしていた。彼らは、笑いが取れるとは限らない、博打を打ち続けているわけだ。なるほど、と思ったのだが気になったのは彼の言い回しだ。
 ワッキーはそのとき、「スベるかスベらないか」という言葉を使った。「ウケるかウケないか」ではなく。

 別にワッキーを批判したいわけではないけれど、そこに、彼が芸能界で置かれている状況や世間からの評価、それらに対する自身の認識というものを感じて、少し切なくなった(ちょっと失礼かもしれないが)。それに、これは自分の勝手な決めつけで、ご本人は自信満々だったのかもしれないのだが……。

  自分も、自信のないときは控えめな、ネガティブな言い方をついしてしまうので、気をつけなければいけないと思った。自分がこう思っているということは、自分のネガティブな言い回し聞いて、「あ、濱田は自信がないんだな」と思われたり(気づかれたり)してもおかしくないのだ。 

 自信をもって話せるようにするには念入りな準備も必要だろうが、思いがけない、ふとした瞬間にこそ自分の精神状態を表す言葉が口をついて出るものだろう。改めて気をつけたいと思った。

2013年5月2日木曜日

素人デザイナーとプロを分かつもの


「仕事ができる」というのは、クライアントが抱える本質的な課題を見抜くための、またはクライアントが望む状態を生み出すためのソリューションを提供できるということだと思う。

 その意味では、肩書きなど関係なく、ディレクターだろうかデザイナーだろうがプログラマだろうが、プロジェクトを成功に導く鍵、ポイントを見つけて実現できることこそが重要だ。だからこれは単なる偏見なのだが、数ある職種の中でも「デザイナー」という職種はとても奥深いと思う。
 一般にデザイナーと聞けば、「カッコいい見た目の何かをつくる仕事」というイメージを持たれるかもしれないが、その仕事の本質は、クライアントが持つ課題を「デザインする」ことで解決に導くことだ。ここでいう「デザインする」とは、単にデザイン系のソフトを使って紙やPC画面で何かを作ることではない。デザインには意味があるから(というより、なければいけない)、「何となくカッコいいから」という理由で、色や形を選んではいけない。そのチョイスの意図が伝わらないこともあるが、それはそのデザインに込めた意味が間違っているか、意味が伝わりにくい見せ方をしているからであって、「赤がはやっているから赤にする」とか「流行の形だから」とかいうのは間違っていると思う(選んだきっかけがそういう理由だったとしても、後付けであってもロジックは必要だ)。しっかりと意味を持ったデザインワークをつくることで、目的を達成させられるのがプロのデザイナーだ。

 と、この手の記事は過去にも書いたことがあるのだが、それくらい「デザインする」ということの奥深さを、デザイナーという職種をリスペクトしている。自分が携わっている「編集する」という仕事も奥深く、難しく、リスペクトに値するものだと思うが、自分がデザイナーではないだけに畏敬の念は強い(また、自分のイメージではデザイナーのほうがより「手を動かす感覚」が強く、現場に近い感じ、何と言うか「クリエイター」に近いイメージがある)。

 ところで自分は社会人学生として通った学校やデジハリでデザイン系ソフトの使い方を習い、個人的にサイトを作ったりしたので、一応Adobeの印刷系、ウェブ系のソフトは使える。なのでデザイナーのまねごとはでき、ビジネスクオリティでなければちょっとしたものはつくれるが、が、あくまで素人レベルだ。デザイナーの足下にも及ばないと思っている。

 小さな会社や組織だと、パンフレットや小冊子を予算の都合で自社で作ることがある。作った本人はそれなりに満足しているのかもしれないが、見てられないものが結構ある。学生がつくったものにも同じことがいえる。後者はまぁ、微笑ましいともいえるが、本人がどれだけ「見てられないものであること」に気づいているのか聞きたいと思うことがある(この感覚はデザインワークだけでなく、文章についても同じようなことがいえると思う)。

 プロと素人のデザインワークのもっとも大きな違い、というかセンスの分かりやすい見極めの基準がある。

 それは「フォントの使い方」だ。

 これはだいてい一見して分かる。ちょっとしたグラフィックデザインから、エディトリアル、ウェブ……なんだってそうだ。

「これは素人がつくっている」「このデザイナーはうまい」

 もちろん自分なりの「うまいー下手」の判断基準なのだが、これは「好きー嫌い」の分かれ目ではない。「ちゃんとデザインの修行を積んでいるかどうか」「センスがあるかどうか」を見極めるポイントだ。
 自分にはその「フォントのチョイス」のセンスがないので、いつも苦労するし、だいたい後悔する。直してもらえるなら直してほしいといつも思う(が、自分がデザインする時点でデザイナーに頼めないものである訳だから、叶わない)。

 どういうフォントがいいかは、アウトプットの目的や場面に寄るし、誰かを批判したい訳ではないので具体的な事例を出すことは避けるが、このことはデザイナーでなくても、デザインワークを作らないという人でも頭の片隅にとどめておいて損はないと思う。
 たとえば企画書やプレゼン資料をつくるとき、子どもの通う保育園や学校に寄せ書きをつくるとき、勉強会やサークルなどにプロフィールをつくって出すとき……デザイン系のソフトではなくても、ワードやパワポなどで何かしら他人の目に触れるもの(れっきとした「デザインワーク」だと思う)をつくることはあると思う。

(ただ、パッと見て「カッコいい」と思ったフォントでも、「よく意味を考えたらおかしい」ということもある。分かりやすい例を挙げると、クールなフォントを使った映像作品のポスターがあったとして、カッコいい仕上がりになっていたとしても、その映像作品がクールというよりハートウォーミングな内容なのだとしたら、ミスリードを生んでいるそのデザインワークはいいものとは必ずしも言えない)。

 もしこれを読んで少しでも「なるほど」と思ったら、身の回りや街角、オフィスで目に入った何か(何でもいい)を「フォントの使い方はどうか」という視点で見てもらいたい。「なぜこれを使ったんだろう」と考えると結構面白いと思う。
 

「同業者がヒクくらいにやれ」――電子書籍セミナーで学んだこと


 電子書籍のセミナーに2日続けて出席した。
  
 1日はAdobeのDigital Publishing Suite関連で、ADPユーザの企業担当者が登壇して事例を述べる内容(パネルディスカッションもあり)。無料セミナーだけに宣伝臭が強いのはさておき、“ADPユーザ”というくくりでは大きすぎと感じた。ADPでいろいろできるのは分かったが、制作の人間としては、自分が取り組んでいる業務内容に即した内容について掘り下げた内容だったらよかったなぁと感じた(このセミナーがちょっと面白かったのは、背広姿の参加者が多かったこと。いつも出るようなセミナーはラフな格好の出席者が多い)。 

 2日目は半蔵門で行われた、士業の方々に向けたセミナー。自分は税理士でもって会計士でもないが、縁あって末席に座らせてもらって聴講した。参加者に「電子書籍の筆者になりませんか」という提案含みの内容で、講師はサニー久永さん。恥ずかしながらサニーさんのことは今回知ったのだが、セミナーの内容はかなり具体的で面白かった。いつもより短い時間に凝縮したセミナーだったらしく、若干の消化不良感はあったものの(致し方ない)、無料でいいんだろうかと思うほど役に立ちそうな内容だった。 

 終了後、懇親会があるというので出席。会場近くの店で十数人で飲みながらセミナーの感想や、出席者それぞれが電子書籍を出すとしたらどういう内容がいいか、どういった目的でやるか、などを話し合った。サニーさんにも少しばかり話をうかがった(主役は士業の皆さんなので邪魔しないよう)。 

 たまたま隣り合わせになった方が最近独立したとのこと。同業者との差別化をどうすればいいか、ブランディングをどうしたらいいか考えているとという。電子書籍の活用を中心に話し合ったのだが、単に「税理士が書いた」「会計士が教える」では電子書籍のウリにはならない。出すからには売れるものにしたいし、売れなきゃブランドは確立できない。そうなると鶏が先か卵が先かという話のようだが、自分の打ち出し方、売り方の“方向性”は考えなきゃならない。

  しかし誰しも自分のことを客観視して、どの部分、どの要素ならセールスポイントになりそうか、なんて分からない。たとえ分かったとしても、どうやってアピールすればいいか、アイデアはそうそう浮かばない。そういう、いわゆるセルフブランディングの話になった時のサニーさんのアドバイスに目から鱗が落ちる思いだった。

  それは

 「同業者がヒクくらいやったほうがいい」 

というものだった。

  もちろん、「同業者がヒクようなやり方をしろ」といっているのではない。同業者はライバルの戦略、やり方を注視しているだろう。しかし、それ以外の人の視線を集めるのは難しい。「自分を売る」ということに慣れている(長けている)ならともかく、普通に自己アピールなんかやろうとしても、ついこじんまりとまとめてしまうものだ。周囲が「やり過ぎ」と思えるくらいやらないと、注目なんてしてもらえないのだ。 

 当たり前といえばそうなのだが、思い切りが必要だ。人は他人になど大して興味がない。だから関心をもってもらうには、分かりやすくして、打ち出したいポイント以外は排除したほうがいい。 

 それは記事の書き方にも通じると思う。
 本当はこんな話も聞いた、本筋じゃないけどあんな情報もある、なんてことまで書いてたら、何がいいたいのか読者の伝わらない記事になってしまう。本当にいいたいこと以外は思い切って落とす勇気、誤解を招くことを恐れない心構えが必要だ(嘘はダメだし、目立つこと最優先でやり過ぎると読者にあきれられるが…)。 

 自分の100%思い通りには相手には伝わらないし、すべてを受け止めてもらえる、期待する形で理解してもらえるなどという考えは不遜だし、幻想だ。少しでも自分の期待に近い理解を広げるための努力は必要だろうが、理解度が100%に近くなくてもいいから、関心を持ってくれる人を増やす段階というものもあるのではないか。記事にしろセルフブランディングにしろ、「これがウリです」とはっきりさせること。 

 その結果、敵が生まれるかもしれないが、むしろそれは歓迎すべきことではないだろうか。自分を偽ってはいけないが、まゆをひそめられるくらいの思い切りが必要だということは覚えておきたい。



(サニーさんの著書、遅ればせながら読んでます)

2013年3月6日水曜日

捨てること・捨てられることを恐れない


 何年か前、会社の口座に見知らぬ名前からの入金があった。

 自分が自社商品の販売サイトの制作担当者だったため、当時の総務担当者から問い合わせされたのだが、入金予定のリストに名前はなく、心当たりもない。少額だったが放置するわけにもいかないので調べることにした。詳細は覚えていないのが、振込者のメールアドレスが分かっていたので、そのアドレスから会社名を類推し、その会社のサイトを検索。代表者を突き止め、苗字などを確認して、おそらくその某企業の関係者からの振込であろうことを予想し、総務担当者から連絡をとってもらったところ、その通りだった。

 与えられた条件は同じだったが、その総務担当者は見つけられず、自分は見つけることができた。何もこんな些細なことで威張るつもりはなく、言いたいのは、「見つけたいものを見つけられるか」能力が重要であるということだ。

 たとえば、仕事で調べ物をしたいときに、Googleの検索窓にまず何と入れるか。第二検索ワードを何にして絞り込むか。そこで検索のセンスが問われる。通常、ネットで検索する時は一人で作業をするもので、上司や同僚に検索の結果分かったことや分からなかったことを報告することはあっても、「何と入力して検索したか」を伝えることはあまりない。だから皆、自己流の検索をしているのだが、実はその瞬間、瞬間に大きな差が生まれている。時間がかかっても欲しい答えにたどり着けばいいという考え方もあるが、時間というコストもなるべくかけないほうがいい。ある人が10分で見つけられる結果に至るのに30分かかっていてはダメだろう(付加価値はここでは問わない)。

  この検索のセンスは実は非常に重要だ。モノと情報があふれかえっている今、個人レベルであらゆる情報を保有し続けようとするのはナンセンスだ。欲しいモノを欲しい時に引っ張ってこれればいい。まさにそれがクラウドの世界なのだろう。必要なデータだからとPCのHDDに入れ続けていれば、限界がそう遠くないうちにやってくる。それはローカルのHDDかネットワーク上かという違いではない。

 
『その検索はやめなさい』(苫米地英人)

 ところで最近、「デスクの上になるべく物を置かない宣言」をした。
 単純にキレイなほうが仕事しやすい、仕事したくなる、カッコいいという動機もあるのだが、とにかく机の上は可能な限りきれいな状態で保っておこうと思っている。

 これまで「何かの役に立つかもしれない」とプレスリリースやフリーペーパー、チラシ、雑誌、書籍、スクラップなどはなるべく入手、保管してきたが、「持っている」というだけで安心してしまって有効活用できていないことを反省した。ちょうど会社を移転することになり、これを機会に新しいオフィスでは机上に物を置かないようにしようと考えた。保管していた資料を厳選、使わなかったものは捨て、「使うかもしれないなぁ」程度のモノも廃棄。デスク周りに置いていた私物も自宅に持って帰るなどして、引き出しの中も整理した。必要な資料は別のラックに入れるなどして、とにかく机の上には物を置かないようにしようと思っている(実は背後の棚には整理しきれていないモノがまだ積まれているのだが)。

 この「持っているだけで安心してしまう」という点は強く反省しなければいけない。持っていることが重要な、たとえば複製では意味のない資料や特に思い入れのあるモノはともかく、そうでなければ何も持っている必要はないのだ。デジタルのデータにして保管しておくこともできるし、ネットを調べればたいがいのものは見つけられる。

 そういえば会社を引っ越した日、旧オフィスで使っていた古いビジネスフォンの設定を業者にやってもらったのだが、その業者はマニュアルをスマホでネット検索して設定していた。一方で退職者の共有ファイルを整理していて、ビジネスフォンのマニュアルが丁寧に保管されているのを発見した。おそらく以前の引越しの時に入手して、そのまま保管していたのだろうが、その3.8メガのPDFはずーっと使われないまま共有フォルダのメモリを食っていたわけで、そんなもの、とっとと捨ててしまってよかったのだ。



『見てわかる、「断捨離」』(やましたひでこ監修)

 「断捨離」という言葉がはやって久しいが、持っているだけで安心してしまうことを戒め、要らないものは持たない。持っていなければいけないもの、持っておきたいもの以外は持たない。そうすれば、持っているものは必要なものだと分かるし、必要なときに必要なものを見つけ出す能力も高められるようになるだろう。

 それは人間関係も同じだ。自分で何でもできる必要はなく、欲しい能力を持っている人とつながることができればいいわけだ。また「何かの役に立つかもしれない」と薄い人間関係を保ち続けることにも、ほとんど意味はない。嫌われたくない、知り合いは多いほうがいいといった気持ちから、人間関係を断つことにも消極的だったが、これからは意識して絞り込みをしていこうと思う。もし将来「あの時関係を継続していればよかった」という時があったとしても、それは自分の選択と甘受するよりほかはない。ただ「すぐに役に立たない関係=不要な関係」ということではないし、「役に立つかどうかではなく関係を保ち続けたい」と思える人との出会いを大切にするということでもある。 逆に自分がそういう(捨てられる)対象になるということでもあるのだが、そんなの別にいい。「関係を保ち続けたい」と思っている相手から、そう思われる自分であるよう努力は一層していこう。

 今さら感もある内容だが、改めてこのタイミングでエントリにすることで、デスク上の整理整頓について有言実行のプレッシャーをかけておこう。


 

2013年2月20日水曜日

「やるやる詐欺」は被疑者も被害者も自分だ

アウトプットの機会を自ら作ることの意義


「やればできるのに」は 「やらずに先送りしていれば、本当はできないかもしれない現実を突き詰められなくて済むということなんだよな」−−。

 先日、セルフブランディングに関する取材をして、こんなことを思って反省した。

 話を聞かせてくださった方が、「アウトプットの機会は無理にでも作ったほうがいい。機会があると強制的にインプットするようになるし、意見をもらえるようになったり知り合いも増えたりする」とおっしゃっていて、しごくもっともだと思い、同時にギクリともしたのだ(記事が未公開なので取材の詳細は伏せる)。

 ここでいうアウトプットは、何も本や雑誌の記事を書いたり講演したりという大げさなものでなくてもいい。ブログを書くのだっていい。何かをインプットしたら、せっかくだからアウトプットしたほうがいいというのはもっともだと思う。しかしそれは「言うは易く行うは難し」で、続けることは難しい。自分もそのハードルの高さを感じている。、このブログのエントリの頻度が下がっていることがそれを証明している。

 だが自分にも書きたいテーマ、調べたい、詳しくなりたいテーマがいくつかある。以前からあるテーマもあれば、最近思いついたものもある。特に思いついたばかりのあるテーマは、大変そうだがやりがいも意義もあると思っている。ならすぐにでも書き始めればいいのだが、つい「このブログ(書きながら考える、考えながら書く)にはテーマがあわないので別ブログにしたほうがいいだろうなぁ」「ちゃんとインプットをある程度して恥をかかないようにしてから始めたほうがいいよなぁ」と思い、始めるのをためらっていた。

 そこで気づいたのは、これではやるやる詐欺ではないかということだ。この詐欺は被疑者も被害者も自分だから、余計にたちが悪い。四の五のいわずに書けばいいわけだから、まずは始めよう。このブログの更新頻度を上げつつ、書きたいテーマについては別のどこかで早々に書き始めたいと思う。

2013年2月18日月曜日

経済・金融の専門家ではない立場からの書評『日本人はなぜ貧乏になったか?』(村上尚己著)

経験はないが、いい記者が持っているモノ

 


 記者は専門家ではない。

 テーマによっては専門家に負けない知識が求められることもあるし、専門家ではないことを準備不足の言い訳にしてはいけない。だが基本的には「専門家ではない」からこそ、専門家に取材して記事を書く。記者は、時間を割いてくれる相手に失礼のないよう、そして聞くべきことをしっかり引き出すために事前勉強はするにしても、それはあくまで聞くための準備であって、読者に伝えるべき情報は専門家が持っている。どの専門家を選ぶかという点には記者(編集者)の考えが反映されるのだが、伝えるべきメッセージを持っているのはあくまで専門家だ。大手メディア所属の記者であるとか、フリーのブロガーであるとか、そうした所属や肩書きはともかく、いわゆる記者・ライターにとって必要なのは、専門家に負けない知識ではない。冒頭にも書いたように、記者は専門家ではないからだ。

 では何が必要なのか。

 数ある中でも最も必要なのは「理解する力」ではないか。

 理解する力があれば、取材で難しい専門用語に惑わされず騙されず、「何がポイントなのか」「どこを伝えるべきなのか」を見つけ出すことができる。のらりくらり逃げようとするインタビューイを前に、だまされずに突っ込むことができる。

 「理解する力」があれば過去の経験は関係ない。例えば教育関係の仕事をしたことがないというライターでも、教育関連のインタビューをしっかり構成できる。投資経験がない記者が、金融機関での取材をこなすこともできる(こう書いていて気づいたが、「理解する力」には、「専門家の話を理解する力」だけでなく、「そのインタビュー・取材をすることの意味」「その媒体で、そのタイミングで発表することの意義」を理解する力も含まれると思う)。

 経験はアドバンテージにはなるが絶対ではない。新聞社の経済部にいた記者がいい経済誌記者になるとは限らない。アニメ誌の編集をやっていたからといって、いいアニメライターになるとは限らない。スタート時点では、経歴のない人と比べればリードしたポジションに立てるが、「アキレスと亀」じゃあるまいし、リードはいくらでも詰められる(とはいえ、記者やライターの採用、起用を検討する際の指標として、過去の経歴・ポートフォリオ 以外のものってそうそうないのだが……)。

 などと書くと、自分が経済紙誌の記者経験がなくFJという経済誌の編集をやっていたことの言い訳のように聞こえてきたが、それは本意ではない。

 いい記者・ライターであるために必要な要素はいくつもある。
 そして私は自分がいい記者・ライターであるとは思っていない。

 しかし、専門ではない話のポイントを掴むのは比較的得意だと思っている。「偉そうに」と思われるかもしれないが、記者なんて誰でも「ここは負けない」「これは得意」ってのがないとやっていけない(中には「営業は負けない」という記者・ライターもいるだろうが)。

「ロジックを立てるのがうまい」人はたくさんいるが


 経済誌の編集部時代には、金融機関で何人ものエコノミストやアナリストを取材した。その誰もが、ロジカルな話を聞かせてくれた。彼らは(嫌味のつもりでなく言うのだが)頭がいいし、自分の意見や考えをサポートする材料を見つけ、ロジックを組み立てるのはうまい。だから、ある命題に対して賛成、反対両サイドの意見を聞くと、それぞれに納得できる話が聞けてしまう。
 例えば自分が賛成に立場に立つ政策について、反対の立場に立つエコノミスト(政治家や学識経験者もそう)に話をいても、「なるほど」と思ってしまう。別に騙されているということではなく、「ロジックを組み立てるのがうまいな」という評価をしているのだが、ともかく金融機関に勤める人たちはこうしたことに長けていると思う。
  当時、取材をさせてもらった多くのエコノミスト、専門家の中でも、つくづく「なるほど」と思わされ、自分なりに納得できる話を聞かせれくれたのが、マネックス証券のチーフ・エコノミスト村上尚己氏だ。

 何だかこの流れで紹介すると、かえって失礼に聞こえてしまうかもしれないが、それはまったくの誤解だ。氏の取材で受けた印象は、「話が分かりやすい」というだけではなかった。話が分かりやすいだけの人なら結構いる。そうではなくて、「信頼できる議論を展開している」という印象といえばいいだろうか。自分のもともとの意見に近いからそう感じるのだろうと言われるかもしれないし、それは否定できない。だが村上氏は、すでに経済誌の編集記者ではなくなった私が今なおレポートや発言をウオッチしている数少ない専門家の一人だ。経済や金融の分野で何かコトが起きる度に、「村上さんは何といっているだろうか」と気になるし、「この事象をどうみればいいのか村上さんの見方を拝見しよう」と時折レポートも確認している。

 その村上氏が単著としては初めてという『日本人はなぜ貧乏になったか?』(中経出版)を上梓した。発売翌日に購入して早速読んだが、これは分かりやすい、いい本だと思う。知らず知らずに信じこんでしまっていたいくつかの事柄、説明のできない事柄に対して、明快な否定と説明をしてもらえた感じだ。
 既に”村上推し”というバイアスがあることを明らかにした、経済・金融の専門家でも現役記者でもない私が薦めても説得力はないのかもしれないが、実際売れているようで、担当編集者のツイートによるとすでに3万部を突破したという。

 
 一見、装丁がおどろおどろしい感じだったので、トンデモ本と間違えられやしないかと偉そうにも思ったが、杞憂だったようだ(失礼しました)。

 本書は21の通説に対して真相を明示し、その説明をしていくという形をとっている(これは同じ中経出版から山内太地さんが出された『東大秋入学の衝撃 』と同じような構成だ)。その通説の一部を見ると、

「かつての『がんばり』を忘れたから、日本人は没落した」
「90年台バブルの崩壊は仕方がなかった」
「人口が減少する日本が成長できないのは、構造的な宿命だ」
「日本のデフレは、安価な中国製品が流入したせいだ」
「日銀の金融政策では、物価を動かすことなどできない」
「日本はインフレ目標政策をすでに導入している」
「お金を刷るだけでいいはずがない。構造の抜本改革を優先せよ」
「『右肩上がりの日本』は幻想。低成長の成熟社会を目指せ」

−−などが並んでいる。筆者はこの21の通説を21のウソと断じ、誤解を解いていく。

 少なくともここに挙げたいくつかの通説を読んで、「え?そうなんじゃないの?」「そう信じてた」という方は、まず読んでみてほしい。その上で自分はどう思うのか、考えてみてはどうだろうか。筆者は証券会社のエコノミストだから、「ポジショントークだ」と思う人もいるかもしれないが、読まずにそう決めつけるのはよくない。

 本書ではまた「おわりに」でちょっと驚かされた。村上氏の同僚でもあるマネックス証券の広木隆さんがZAi ONLINEの記事で紹介されているが、筆者の熱い思いがつづられているからだ。インタビューイからこうした熱い思いを聞けることはなかなかないから、氏の熱い思いを目の当たりにして、驚き、感銘を受けた。

 円安・株高を期待する反面、ここまでデフレが長く続くと、「いくらアベノミクスとか言っても所詮春くらいまででしょ」「持って参院選まででは」と弱気な見方をしてしまうもの。デフレには辟易していた自分も、後者の見方のほうが強くなっていた。
 しかし本書を読んでみて、不安と懐疑的な見方のほうが強かったアベノミクスに対して、多少は期待が持てるようになった。


……「多少かよ」というツッコミは、読んだ方からのみ受け付けたいが、私も本書を読んで、すべて鵜呑みにしているというわけではない。筆者とは違う見方をしている部分も(マイナだが)ある。また例えば、『60歳までに1億円つくる「実践」マネー戦略』で村上氏とともに著者に名を連ねている内藤忍氏は、アベノミクスにはかなり否定的とのこと。村上氏とは見方は違うわけだが、私は内藤氏の見方も信頼している。こうして異なる立場の見立てを吸収し、自分なりの理解や見通しを組み立てているつもりだ。


「アベノミクス」の行方は私たちの将来に大きな影響を与えるはずだ。もし積極的に情報を得ようとせずにいろいろな判断をしているなら、先行きの見立ての正誤や可能性を心配する前にやることがあると思う。


2012年11月15日木曜日

ガンダムは日本製とは限らない――『僕ジム』を読んで

 常見陽平さんの『僕たちはガンダムのジムである』(ヴィレッジブックス)を読んだ。


 ガンダム世代には釈迦に説法だが、ジムとは、「機動戦士ガンダム」に出てくる地球連邦軍の量産型モビルスーツだ。


 見ての通り、ガンダムっぽいけどガンダムでは決してない、”その他大勢キャラ”だ。

 キャリアに関して多数の著書のある常見さんの書籍だけに、そのタイトルを聞いた時、なんとなく内容に予想はついた。コントでいえば“出オチ”というか、見た瞬間に狙いの方向性が分かった。だから自分もファーストガンダムは好きではあるものの、「多分こういう内容だろうから買わなくてもいいかなぁ」と思った。

 しかし以前いただいた『キャリアアップのバカヤロー』はためになったし、『親は知らない就活の法則』も仕事の上で参考になった。それに「常見さんだからきっと、そんな容易に想像できる内容で終わってるはずはない」と思い、買ってみた。

 


 結論からいうと、最初に抱いた心配は杞憂に過ぎなかった。

 私は仕事で学生や留学生の就職難、転職難の情報に触れていることもあって、ある部分では「分かる分かる」と思いながら、一気に読み終えた。もちろん著者のように専門的にキャリアについて研究しているわけでもないので、新たな発見もたくさんあったし、「いい言葉だなぁ」と付箋をつけたページもたくさんあった。

今さらな部分もあるかもしれないが、たとえば……

  • 頼まれた仕事は天職だ
  • やらされた仕事があなたを強くする
  • 「居場所×担当業務×ポジション」
  • 創造的ルーチンワーク
  • 「いいじゃないか、やりたいことが見つからなくたって」

 などなど。
 ほかにもあるのだが、ちょっとでも気になったら手に取って損はないと思う。特にこれから就活をする学生、あと就職したばかりの20代の社会人は、これを読んで自分のポジションを確認し、進む道、戦略を考えるといいのではないだろうか。そして「できること」の先にある「すべきこと」を考え、見つけようと行動することだろう。

 いい本を読むと、「自分もやらなきゃなぁ」「このままじゃイカンなぁ」と思う。
 誰もが思う。 けれども行動にはなかなか移せない。移しても、続かない。

 本書が説いているのは、「自分はジムであり、ガンダムにはなれないが、他のジムとどうやって差別化しようかと考えるべき」ということだ。ガンダムになれないことは認めても、そこで「ジムのままでいい」と思っていいという訳ではない(これは何もジムであることを否定しているわけではない)。
  
 日本は既にGDPで中国に追い抜かれた。それでもまだ、貯金で逃げ切れる世代が支配している。若い人たちは、将来が明るいとは思っていない。日本が経済的にもっと豊かになるとは思っていない。豊かになるためにいろいろなものを犠牲にするくらいなら、ならなくていいと思っている(そもそもそれは成熟の一つの段階なのかもしれない。いいのか悪いのか、分からない)。

 そんな状況の中で、何をどう頑張ったらいいのか分からない。途方に暮れて、あきらめてしまいそうになる。諦めてしまっている人たちもいる。だから筆者は「はじめに」で本書について「ついつい自信をなくしてしまいつつある、地道に働く会社員たちに対するエール」と書いている。『僕ジム』は時代が求める処方箋であると思う。

 「どうせ自分なんてジムだし」と思うことはないし、思っていても始まらない。現状を認識する、己を知るということは、自分がどう伸びたいかを考えるために必要だ。「ガンダムになれる」とは思わなくても、「ジム・カスタムになろう」とか「ガンタンクを目指しちゃうぞ」だっていいはずだ。

 また「僕らはジムだ」と言い切ることには、“意識の高い学生”の話ではないが、多くの人が陥っている勘違いを正す意味もある。
 若い時は誰しもが、自分がひとかどの人間になれると思いがちだが、多くは幻想だ。そして今はソーシャルメディアのため(せい?)か、ジムの多くがガンダムと気軽に接することができるようなった。ジムがガンダムを身近に感じられる時代、CDを買えばアイドルと握手ができる時代でもある。教育現場でも平等であることが重視され、区別することをよしとしない風潮がある。「あの子はガンダムだから。でも君はジムだから」なんて言えない。だからジムの多くが根拠もなく「おれもガンダムになれんじゃね?」と思う。その思い込みが自分の能力を高めることもあるが、ほとんどのジムに対して、「いやいやおめぇは違うから。ガンダムにはなれねぇから」と教えてやるのは、余計なお世話ではない。ジムのためにもなるのだ。

 最近、私は日本人の学生よりも外国人留学生と接することが多い。バイトもいるし、正社員もいるのだが、彼らの貪欲率はかなりのものだ。日本という外国に留学に来ている時点でそれなりに行動的ではあるわけだが、日本の会社に出入りして、選ばれていることもあって、能力も高い学生が結構いる。彼らを見るにつけ、外国人を採用で差別している企業はホントにアホだと思うし、日本の若者は、競争相手が彼らだということを認識しているんだろうかと心配になる(とか書くと、おめぇもだと言われそうだけど)。

 これからジムは、外国製のガンダムのために働くことだってあることを認識しておかなければいけない。外国企業の日本買いが、青い目をしたハゲタカファンドによるそればかりでないことは、ご案内のとおりだ。今まで自分のことをガンダムになれる存在と思っていて、かつ根拠もなく新興国の若者をジムだと思っていた日本のジムが、新興国からやってきたモビルスーツ(もしくは指揮官)の下で働くことになる。自分がガンダムではない事実を認めたうえ。よそから来た主人公のために。たとえ自分がジムであることを認めても、ガンダムが日本製(日本人)とは限らないということも忘れてはいけない。

 「だから何?」と思える人はいい。まだ社会人になってないような若い世代がどうかは知らないが、すでに働き始めてかなりの年月がたった中年世代は困るだろう。誰も「おめぇはガンダムじゃねぇ」と言ってもらえない、でも逃げ切ることもできない世代。きっと外国製のガンダムの下で働くことをすんなりと受け入れられないのではないかと思う。

 きっと、そんな時代はすぐそこまで来ている。逃げ切れると思っている世代の多くが、逃げ切れないだろう。逃げ切ることを考えるのはよしたほうがいい。「逃げよう」と思っている時点でもう旗色はかなり悪い。ほうほうのていで逃げたところで、その先に楽園はない。

 ところで本書の帯には「量産型人材として生き抜いてきた著者による」とはある。だが、「常見さんはジムじゃないじゃんよ」というツッコミはされてるんじゃないかなぁと思う(私の勝手なイメージではギャン…いやゲルググ……)。あと、今の若者にどれくらい「ジム」が響くのかなぁ?とも思った。



ほかに最近読んで面白かった本。


  



 『東大秋入学の衝撃』(中経出版)。東大に関してのいろいろな噂をあげ、それに対して事実を回答として示していく形。高等教育について問題意識を持っている人にとっては興味深い、現場をみて回った上での分かりやすいまとめ。

 『創造力なき日本――アートの現場で蘇る「覚悟」と「継続」』(角川oneテーマ21)。村上隆さんはアンチも多いですが、仕事に対する考え方や物言い、僕は好きです。アーティストになろうとしている人に限らず、仕事をするすべての人に参考になると思います。なんだってアートといえばアートだし。特に面白かったのは、カイカイキキの運営方法を震災後に変えた話や、ドワンゴ川上さんとの対談などでしょうか。

 もう1冊『日本をダメにしたB層の研究』(講談社)はネタ本みたいですが、意外に「なるほどねぇ」と思わされました。著者の適菜氏は過去にも「B層」本を出しているようですが、氏の著作を読むのは私は初めて。哲学者という肩書のようですが、分析が分かりやすすぎないかという気もしましたが、一つの見方としてはアリではないだろうかと。今度の選挙でこのB層がどういう(投票)行動を取るのか、気になりました。

 そして今読んでいるのは田端さんの『MEDIA MAKERS』(宣伝会議)。なかなかなくてあちこちで探して、渋谷のブックファーストでようやく見つけて購入。田端さんの初めての著書ということにちょっと驚き。氏の話が分かりやすくて面白いのはブログやいろんなインタビューで知っていましたが、これも分かりやすくていい。読んでためになるのはメディアを仕事にしている人だけではないと思う。視聴者、読者として誰もがメディアに接する訳ですし。
 ちょうど今、仕事でウェブメディアの再構築にかかっているところなので、参考にさせてもらおうと思いました。