2013年2月18日月曜日

経済・金融の専門家ではない立場からの書評『日本人はなぜ貧乏になったか?』(村上尚己著)

経験はないが、いい記者が持っているモノ

 


 記者は専門家ではない。

 テーマによっては専門家に負けない知識が求められることもあるし、専門家ではないことを準備不足の言い訳にしてはいけない。だが基本的には「専門家ではない」からこそ、専門家に取材して記事を書く。記者は、時間を割いてくれる相手に失礼のないよう、そして聞くべきことをしっかり引き出すために事前勉強はするにしても、それはあくまで聞くための準備であって、読者に伝えるべき情報は専門家が持っている。どの専門家を選ぶかという点には記者(編集者)の考えが反映されるのだが、伝えるべきメッセージを持っているのはあくまで専門家だ。大手メディア所属の記者であるとか、フリーのブロガーであるとか、そうした所属や肩書きはともかく、いわゆる記者・ライターにとって必要なのは、専門家に負けない知識ではない。冒頭にも書いたように、記者は専門家ではないからだ。

 では何が必要なのか。

 数ある中でも最も必要なのは「理解する力」ではないか。

 理解する力があれば、取材で難しい専門用語に惑わされず騙されず、「何がポイントなのか」「どこを伝えるべきなのか」を見つけ出すことができる。のらりくらり逃げようとするインタビューイを前に、だまされずに突っ込むことができる。

 「理解する力」があれば過去の経験は関係ない。例えば教育関係の仕事をしたことがないというライターでも、教育関連のインタビューをしっかり構成できる。投資経験がない記者が、金融機関での取材をこなすこともできる(こう書いていて気づいたが、「理解する力」には、「専門家の話を理解する力」だけでなく、「そのインタビュー・取材をすることの意味」「その媒体で、そのタイミングで発表することの意義」を理解する力も含まれると思う)。

 経験はアドバンテージにはなるが絶対ではない。新聞社の経済部にいた記者がいい経済誌記者になるとは限らない。アニメ誌の編集をやっていたからといって、いいアニメライターになるとは限らない。スタート時点では、経歴のない人と比べればリードしたポジションに立てるが、「アキレスと亀」じゃあるまいし、リードはいくらでも詰められる(とはいえ、記者やライターの採用、起用を検討する際の指標として、過去の経歴・ポートフォリオ 以外のものってそうそうないのだが……)。

 などと書くと、自分が経済紙誌の記者経験がなくFJという経済誌の編集をやっていたことの言い訳のように聞こえてきたが、それは本意ではない。

 いい記者・ライターであるために必要な要素はいくつもある。
 そして私は自分がいい記者・ライターであるとは思っていない。

 しかし、専門ではない話のポイントを掴むのは比較的得意だと思っている。「偉そうに」と思われるかもしれないが、記者なんて誰でも「ここは負けない」「これは得意」ってのがないとやっていけない(中には「営業は負けない」という記者・ライターもいるだろうが)。

「ロジックを立てるのがうまい」人はたくさんいるが


 経済誌の編集部時代には、金融機関で何人ものエコノミストやアナリストを取材した。その誰もが、ロジカルな話を聞かせてくれた。彼らは(嫌味のつもりでなく言うのだが)頭がいいし、自分の意見や考えをサポートする材料を見つけ、ロジックを組み立てるのはうまい。だから、ある命題に対して賛成、反対両サイドの意見を聞くと、それぞれに納得できる話が聞けてしまう。
 例えば自分が賛成に立場に立つ政策について、反対の立場に立つエコノミスト(政治家や学識経験者もそう)に話をいても、「なるほど」と思ってしまう。別に騙されているということではなく、「ロジックを組み立てるのがうまいな」という評価をしているのだが、ともかく金融機関に勤める人たちはこうしたことに長けていると思う。
  当時、取材をさせてもらった多くのエコノミスト、専門家の中でも、つくづく「なるほど」と思わされ、自分なりに納得できる話を聞かせれくれたのが、マネックス証券のチーフ・エコノミスト村上尚己氏だ。

 何だかこの流れで紹介すると、かえって失礼に聞こえてしまうかもしれないが、それはまったくの誤解だ。氏の取材で受けた印象は、「話が分かりやすい」というだけではなかった。話が分かりやすいだけの人なら結構いる。そうではなくて、「信頼できる議論を展開している」という印象といえばいいだろうか。自分のもともとの意見に近いからそう感じるのだろうと言われるかもしれないし、それは否定できない。だが村上氏は、すでに経済誌の編集記者ではなくなった私が今なおレポートや発言をウオッチしている数少ない専門家の一人だ。経済や金融の分野で何かコトが起きる度に、「村上さんは何といっているだろうか」と気になるし、「この事象をどうみればいいのか村上さんの見方を拝見しよう」と時折レポートも確認している。

 その村上氏が単著としては初めてという『日本人はなぜ貧乏になったか?』(中経出版)を上梓した。発売翌日に購入して早速読んだが、これは分かりやすい、いい本だと思う。知らず知らずに信じこんでしまっていたいくつかの事柄、説明のできない事柄に対して、明快な否定と説明をしてもらえた感じだ。
 既に”村上推し”というバイアスがあることを明らかにした、経済・金融の専門家でも現役記者でもない私が薦めても説得力はないのかもしれないが、実際売れているようで、担当編集者のツイートによるとすでに3万部を突破したという。

 
 一見、装丁がおどろおどろしい感じだったので、トンデモ本と間違えられやしないかと偉そうにも思ったが、杞憂だったようだ(失礼しました)。

 本書は21の通説に対して真相を明示し、その説明をしていくという形をとっている(これは同じ中経出版から山内太地さんが出された『東大秋入学の衝撃 』と同じような構成だ)。その通説の一部を見ると、

「かつての『がんばり』を忘れたから、日本人は没落した」
「90年台バブルの崩壊は仕方がなかった」
「人口が減少する日本が成長できないのは、構造的な宿命だ」
「日本のデフレは、安価な中国製品が流入したせいだ」
「日銀の金融政策では、物価を動かすことなどできない」
「日本はインフレ目標政策をすでに導入している」
「お金を刷るだけでいいはずがない。構造の抜本改革を優先せよ」
「『右肩上がりの日本』は幻想。低成長の成熟社会を目指せ」

−−などが並んでいる。筆者はこの21の通説を21のウソと断じ、誤解を解いていく。

 少なくともここに挙げたいくつかの通説を読んで、「え?そうなんじゃないの?」「そう信じてた」という方は、まず読んでみてほしい。その上で自分はどう思うのか、考えてみてはどうだろうか。筆者は証券会社のエコノミストだから、「ポジショントークだ」と思う人もいるかもしれないが、読まずにそう決めつけるのはよくない。

 本書ではまた「おわりに」でちょっと驚かされた。村上氏の同僚でもあるマネックス証券の広木隆さんがZAi ONLINEの記事で紹介されているが、筆者の熱い思いがつづられているからだ。インタビューイからこうした熱い思いを聞けることはなかなかないから、氏の熱い思いを目の当たりにして、驚き、感銘を受けた。

 円安・株高を期待する反面、ここまでデフレが長く続くと、「いくらアベノミクスとか言っても所詮春くらいまででしょ」「持って参院選まででは」と弱気な見方をしてしまうもの。デフレには辟易していた自分も、後者の見方のほうが強くなっていた。
 しかし本書を読んでみて、不安と懐疑的な見方のほうが強かったアベノミクスに対して、多少は期待が持てるようになった。


……「多少かよ」というツッコミは、読んだ方からのみ受け付けたいが、私も本書を読んで、すべて鵜呑みにしているというわけではない。筆者とは違う見方をしている部分も(マイナだが)ある。また例えば、『60歳までに1億円つくる「実践」マネー戦略』で村上氏とともに著者に名を連ねている内藤忍氏は、アベノミクスにはかなり否定的とのこと。村上氏とは見方は違うわけだが、私は内藤氏の見方も信頼している。こうして異なる立場の見立てを吸収し、自分なりの理解や見通しを組み立てているつもりだ。


「アベノミクス」の行方は私たちの将来に大きな影響を与えるはずだ。もし積極的に情報を得ようとせずにいろいろな判断をしているなら、先行きの見立ての正誤や可能性を心配する前にやることがあると思う。