2013年6月7日金曜日

なかなか見つけられない「専門分野×得意・好きな分野」

 藤沢数希さんの「金融」と「恋愛」、内藤忍さんの「投資」と「ワイン・グルメ」など、仕事などの専門分野と、自分が好きな(または得意な)分野を持っている方は、コンテンツを生み出す力があります。それぞれの要素がそんなに珍しくなくても、組み合わせによっては、ユニークな(他にいないという意味で)存在になれる可能性が高くなります。自分はこれまでいろいろ(趣味でも仕事でも)手がけてきましたが、いずれも突き抜けるところまではいっていない、いい組み合わせが見つけられていないと反省しています。

 先日、友人のサリーさんが書籍『「おいしい」を科学して、レシピにしました。 』(サンマーク出版)を上梓されました。京大農学部卒業時に総長賞を受賞した彼女は今春、大学院を修了されたばかり。学生時代からELLEオンラインで「Sallyの科学なごはん帖」なブログを連載されています。

 そんな彼女の得意分野・好きな分野が「科学」と「食(料理)」。その組み合わせで出版甲子園でグランプリも獲得されているほどなので、友人ということを差し引いても楽しみにしていました。

 本書では「鶏肉のママレードソテー」「トマトチーズ飯」「生姜の炊き込みご飯」「塩鮭と白菜の蒸し煮」など37のレシピが紹介されています。1レシピ見開き2ページで、左ページには材料と簡単な手順、サリーさんらしい科学的な紹介文、右ページは写真という構成。科学的な紹介文の一例を紹介すると、例えば「イタリアン肉味噌」の項目では

玉ねぎの辛みや目にしみる成分である硫化アリルは。炒めるとプロピルメルカプタンという甘み成分に変化します。硫化アリルは揮発しやすい成分なので、玉ねぎの甘みを生かしたいときには、切ってすぐに炒めるようにしましょう(後略)

 といった具合。ほかにも別のレシピでは、枝豆の緑色であるクロロフィル、うまみ成分のグルタミン酸などについて言及されています。なかなか他のレシピ本ではお目にかかれないような紹介で、ちょっとした読み物としても面白いと思いました。

 彼女は「生き物がつくられる仕組みを学ぶため」農学部に入り、「料理がおいしくできる仕組み」があることに気づいたといいます。自身のプロフィールに「食道楽の家に生まれる」という表現があるくらいですから、大学に入る前から「食」というものには(意識していたかどうかは別にして)ゆかりが深かったはずですが、ついに大学で自身の専門である「科学」と「食(料理)」がリンク。ブログを書いたり本を出版したりという活動につなげています。「大学の図書館では、食品額の棚のどの本に何が載っているかほとんど把握していたほど」だそうで、研究の深さがうかがえます(それくらいやらないと「好き」「得意」とはいえないのでしょうが)。

 別の見方をすれば、「好き」と思えば勉強して研究して「得意」な分野にできるということだし、(この言葉いやがる人もいるかもしれませんが)「差別化」「パーソナル(セルフ)ブランディング」になるということでしょう。

 一つひとつの要素は珍しくなくてもいい。でもそれを掛け合わせることで、他の人にはないモノを生み出せる……。と、これは以前取材させてもらった内藤さんがまさにおっしゃっていたことでしたが、まさにその通りだと思います。

 専門分野  ×   得意分野
(____) ×  (____)

 あなたは何を入れるだろうか。
 自分なら何を入れられるだろうか。入れたいだろうか−−。
 
 入れるべきもの、入れられるものに気づいていない人が意外と多いのではないだろうか。

2013年6月1日土曜日

「悪意あるアンケートの対象になること」 < 「都合が悪くなると対象不良で仕事を休めること」 ?

香る男にしか抱かれたくない? いいニオイがしそう1位は福山雅治


 このニュース、タイトルこそ無難な感じだが、別ページでは「加齢臭がキツそうな有名人は」と紹介されていた。正直、誰なのか関心はないが、「またヒドいことを書いてるなぁ」とブログネタにでもしようと、ついクリックしてしまった。
 すると本当のタイトルでは上の通り「いいほう」の名前が紹介されていて、見た瞬間に「うわ、興味ねぇー」とガックリきた。だがたしかに、こちら(ヒドくないほう)のタイトルではクリックしてもらえる可能性は下がるかもしれない(「いいニオイがしそうな有名人はあのイケメン歌手」じゃなぁ……)。 

 ここで、「ネガティブな方向性のほうが多くの人の関心を集めやすいのだろうか?」という考えが頭をもたげる。

  これのアンケートと似たようなものに、抱かれたい芸能人、抱かれたくない芸能人を聞くものもある。前者はともかく後者は「今さらながら、よくもまぁそんあひどいアンケートをするものだ」と思う。発表する側は「視聴者(ユーザ)がそう答えているから」というかもしれないが、そもそもそんなアンケートとっていいものなのかと思う(嫌われてナンボの芸風もあるので、止めたら止めたで常連は困るのかもしれないが)。

  ネガティブな方向性のほうが関心を集める、という話に戻る。もしそれが正しい見方なのだとしたら、新聞をはじめとしたメディアが、事件や事故など他人の不幸話ばかり取り扱うことに批判が起きることがあるが、筋違いではないかということになる。求められているものを出しているだけといわれればそれまでだは、やはりハッピーな話ばかり載せた新聞なんて、瞬間ネタにはなるが続きそうにない。 

 おそらく重要なのは、取り扱うネタの方向性というより、紹介の仕方に悪意があるかないかだろう。そして、ここで紹介したアンケートには悪意が感じられる。クラスの中で「誰が一番嫌いですか」というアンケートはできないだろう。なぜ芸能人はしてもいいのだろうか。有名税にしては重すぎやしないだろうか。最近の矢口真里騒動(特に都合が悪くなると「体調不良」で仕事を休めることへの疑問)を見て辟易としていたこともあって、そんなことを考えた。

2013年5月31日金曜日

ブログを毎日書いてみて ネットのクソ情報に溺れるわ

 5月は一カ月間、毎日ブログ記事を更新した。アップロードが12時を過ぎた日もあったが、毎日何かしら記事を書くことにし、何とか今日この記事で31本目だ。一カ月やってみて思ったのは、「まぁ一カ月くらいなら難しくも何ともないな」ということだったのでだが、それでも節目は節目なので、ちょっと振り返ってみる。
 「何でもいいんならできるだろ」というツッコミをされるかもしれないが、自分なりに「面白い」と思ったことしかネタにはしないとか、TwitterやFacebookで投稿するような長さでお茶を濁すようなことはしないと決め、無理しすぎず、楽もしすぎず、とりあえずやってみた。

 このブログを始めたのは、TwitterやFacebookでは書きたいことがあっても短くなってしまうし、雑誌では発表の機会がそうないし、必ずしも好きなテーマ、長さで書けるとは限らないこと(また雑誌を休刊したこと)などが理由だった。過去には、業務(またはその延長戦上)でブログをやったりもしたが、会社の都合や業務とのかかわり合いとの兼ね合いでいずれもやめてしまった。業務がどうあれ会社がどうあれ、自分個人として続けてみようと思って、URLにも自分の名前をいれて、このブログを始めた。

 昔から、日々生活していて、「あれ?なんだこれ」とか「ほほぅ、これは面白い」と思うことが結構あって、「何かのときに書こう」とは思うのだが、その何かは自分でつくらないと訪れない機会だから、自分でその機会をつくろうと考えた。
 そして書くテーマについては「それなりに長い文章としてまとめておきたいもの」と考えていたのだが、そうすると今度はなかなか書かなくなってしまう。書きたいから書くのではあるが、つい忙しさにかまけて、一カ月や二カ月平気で書かなくなってしまう。だからこの際、とにかく短くてもいいから書いてみようと思い、続けてみた。
 とにかく書こうと思ったのは、取材をしてこんなことを思っていたことが直接の理由だ。2月からしばらく経っているが、会社の移転や諸々あって、GWに若干落ち着いたタイミングで始めた。その記事にも書いたように、アウトプットの機会を無理矢理つくったからこそ、インプットを積極的にするようになる。インプットしたところで出す機会がなければ宝の持ち腐れ。インプットも必要だがアウトプットはもっと重要だ。

 ところでこの「インプット」、種類にもよるが、自分が望んでいる類いのアウトプットをするためには、質の高いインプットが欠かせない。僕は(あまり好ましいことではないが)人見知りするので、情報を得るのは人からというより、物やサービスからということが多い。そして、本や雑誌、劇場、テレビ、ネットなんでもいいのだが、面白いもの新しいものは、それなりにお金を払って吸収するもののほうが、情報としての価値は高い。ついお金をけちって情報収集を怠ったり、無料の情報ばかりで過ごしたりすると、目には見えないけれどの後々のアウトプットに如実に影響してくる。それを実感した。
 もともと「本代はけちるな」と教えられたこともあって、面白そうな記事があれば雑誌や本はあまり躊躇せずに買っていた。だがいろいろお金がかかるようにもなり、会社も順調とは言えなかったために報酬を下げたりしたため、しばらく雑誌や書籍をあまり買わずに過ごした。映画もよほどのことがなければ劇場には行かなかった。古書店やレンタルは時折利用していたが、頻度はそう高くなかった。
 すると、それがボディブローのように効き始めた(と感じたことがあった)。なんと言うか、インプットを盛んにしていたときに感じていた、自分の中の引き出しのバラエティーさが失われていた。アウトプットするときにネタの傾向が似てしまう。何か新しいニュースを見たり聞いたりしたときに、インプットを盛んにしていたころは「あ、これはこないだ見たアレと似ている」とか「またこんなサービスが出ているな、はやっているのかも」とか(あまりいい例じゃないけど)、そういう気づきがそれなりにあったのだが、この時期は、時々意識してインプットすると、「あ、こんなのがあるのか」「これは知らなかった」と驚くばかりだった。
 ちきりん女史はインプットよりもアウトプットのほうが重要という考えを著書で示していて、それもよく分かるのだが、「インプット」「アウトプット」といってもそれぞれ目指すものや手法が違うので、単純に比べられないということだろうと思う。

 ネットがないと生活できなくなってしまった現代、情報は無数にある。けれど、無料の情報は一過性の、消費するためだけのネタでしかない。それをないがしろにしていい訳ではないが、吸収する物がそんなのばかりでは、やはり自分の中のフィルターに残るものがなくなってしまう。フィルターもさびついてしまう。

 だから今は、厳しいなりにも厳選して、多少は無理してでもインプットするようにしている。そしてさらに、今以上にインプットをするよう、このブログでの記事更新(アウトプット)の回数を増やしてみた。

 今思うのは、ネットで得られる情報、特に簡単にアクセスできる、アクセス数を稼ぐためのニュースやポータル、まとめサイトなどの情報は、(いいものもあるが)クソが増えすぎているということだ。ネット巡回していて、気分が悪くなることがあった(そんなに突飛なサイトやサービスをみて回っているわけでもないだろうが)。見出しはそれなりにフックになっているが、クリックしたら全然ミスリードだったり、大したことでもないのにクリックさせるために大げさな見出しをつけたりしている。

 「無料だから」といわれればそれまでだけれど、さすがに線引きをしなければいけない時期にきているなと気づいた。あぁ、だからキュレーションとかまとめとかが流行るのか(クソまとめも多いけど)……そういう意味では個人メルマガがはやるのも理解できる。


 とりとめがなくなってしまったが、とにかく一カ月やってみて、自分なりに些細ながら分かったこと気づいたことがあり、やってよかったと思う。せっかくなので今後もできる限り書き続けていき、日々記事の小ネタを後々しっかり料理しなおすというスタンスでやってみようと思った。


<AD>
宇宙人にも会える
コミュニティ!【ワクワクメール】


同性愛が幻というなら異性愛も幻--フランスで初の同性婚カップル誕生

フランス初の同性婚カップル誕生、男性2人が愛誓う 

 フランスで初めてというのが意外な感じもしますが、ともかくカップル誕生の吉報。おめでたいことです。 同性愛についての賛否について私自身、詳しい訳でもしっかりと自分の立場を見つめ直した訳でもないのですが、基本的には反対ではありません。 

 反対の論拠は想像するに、生物は男女・雌雄という異性同士が子孫を生んで次代につながっていくものだから、異性愛が自然だ……ということなのではないでしょうか。宗教上の理由での反対もこれに近いのではないでしょうか。

  しかし、人間が生まれてくる理由が、「子を産み育てるためだけ」とは言えないと思います。子孫をつくらないという選択肢もあるのが人間ではないでしょうか。望んでもできない方も少なくありませんが。 生物が「種の保存」に最も高いプライオリティを置くものだとしたら、人間を人間たらしめている、ほかの生物と人間をわかつのはまさに、その点 なのかもしれません。

 「無駄」という表現をつかうと誤解されそうですが、生きていくということだけ考えれば、人間は何と無駄なことをしているか。音楽を聞くとか、ブログを書くとか……避妊をしてのセックスだってそうでしょう。これらは、生きること、種を保存することだけを必要なことと考えたら、「無駄」(必ずしも要としない)ということになるでしょう。
 人間は種の保存のためだけに必要な行動しかとっていない訳では決してありません。ですがそれをして「人間はおかしい」と言っていいものとも思えません。「働かざるもの食うべからず」が卑しいという考えもありますが、人間には他の生物にはない、違いがあります。長所なのか短所なのかはともかく。

 同性愛はたしかに種の保存、次世代を産むということに関しては無縁です。しかし、だからといって、それを否定することは人間的とはいえません。もし同性間の愛が幻であるとするならば、異性愛のそれも同様でしょうし、そもそも愛情を幻と考えてしまうのは寂しすぎます。

 ただ、同性愛を認めることと同性婚を認めることはまた別の問題でしょう(何も「同性愛は認めるが同性婚は認めない」といっているのではありません)。今の日本は、同性婚が認められるという未来を想像しづらい状況にあると思いますが、今後議論の場が増えていくのではないでしょうか。

 上に、「しっかりと自分の立場を見つめなおしたわけではない」と書きましたが、この話題についてはいろいろな意見や考え方を見聞きして整理したいと思います。

2013年5月28日火曜日

攻殻S.A.C.ファンがARISEを観た感想――少佐じゃないけどしっかり素子だった

 

攻殻機動隊ARISE border:1 Ghost Pain」のプレミア先行上映イベントに行ってきました。自分は別に押井攻殻でも原作でもなく、ただS.A.C.が好きだというファンなだけに、失礼ながらも心配しながら観に行きましたが、満足して帰りました。

以下ちょっとイベント内容のレポートをしてみたいと思います。話のあらすじには触れていないので、よほど「絶対に予備知識を入れたくない」という方以外は、鑑賞前に読まれて楽しみが損なわれることはないかと思います。

2013年5月27日月曜日

「オススメは?」という質問の恐ろしさ

 知人がTwitterで、これからレンタルするDVDの作品名を書いていた。まだ観たことがなかった作品だったので、興味を持った。それと同じ日。ネットで、オススメの本を持ち寄って紹介するイベントの記事を読んだ。まだ読んでいない本も出ていたが、あまり興味を持てなかった。

 前者では興味を持って、後者では持てなかった。その理由が何かといえば、「誰が勧めているか」の違いだ。前者については、その知人は「これから観る」というだけだから厳密には勧めているわけではないが、それでもその知人が「借りてみよう」と思った、それだけ関心を持ったということ。だから自分は「彼が観たいと思っているなら」という前向きな評価をした。一方、後者は、どんな人が勧めているのか分からない。予想外の当たりがあるのかもしれないが、はずれだって多いだろうという思いが勝ったわけだ。

 そもそも映画にしても本にしても、巷間よい作品だと言われているものが自分の好みとは限らない。自分が一目置いている人が勧める作品だからといって、自分のお気に入りになるかどうかは別だ。それでもやはり、誰だか分からない人が勧めているものよりも、一目置いている人、センスがいいと思っている人が勧める作品のほうに食指は動く。特に、過去に好きだった作品が同じだったりすると余計にだ。

 こう考えている人が増えているのかどうかは知らないが、それが自然だとすれば、ソーシャルメディアが広く支持されるのも分かる。「全米が泣いた」作品よりも、「自分と好みの合う友達のAさんが『泣けるよ』っていってた」作品のほうが観てみたいと思うのは自然ではないだろうか。

 大学生のころ、かなりの数の映画を(レンタルビデオで)観ていて、そういう話をすると「オススメは?」と(軽々しく)聞かれることがあるのだが、答えに窮してしまう。なぜなら、自分が好きな作品が相手の好みに合うかどうか分からないからだ。
 相手が「どうせ好みは違うんだから」と分かってくれている人ならいいのだが、軽々しく勧めて相手が観て全然好みと違っていた場合に、「あの人(濱田)はこれを面白いと思っているのか」と、自分がいないところで後々に思われるのも、何となく嫌だ。自分のセンスに絶対的な自信があればいいのだろうけれど、自分はそんなに不遜ではない。
 だから「オススメは?」と聞かれたら、「これまでに好きだった映画は?」と聞きかえして、“その場なりに”真剣に答えるようにしていた(とはいっても、誰にでも威張れるほどたくさん観ているわけでもないのだけれど)。少なくとも好きな作品を聞けば、監督や俳優やジャンルなどが分かるので、「オススメといえるかどうか分からないけど……」と言い訳しつつも、別の作品名を触れやすくはなる。「あの映画なら、監督が◎◎さんだけど、同じ監督の△△は観た? 僕はそっちのほうが好きだけど」とか言える。

 ただこんな心配も、本当に好きな作品であれば、心配はまったくせずに伝えられる。それは「あの作品なら面白いから間違いない」という場合もあるし、「相手の好みと合うかどうか分からないけど、とにかく自分は好きなんだ」という場合もあって、いずれにせよ自信があるからだ。

 怖いのは、「オススメは?」とさりげなく聞きながらこちらのセンスを試そうとしているのではないかという場合だ。自分は、高い評価をしてもらいたいと思う人の前だと、つい張り切って意気込んで結果失敗することが多いので、焦って結局、超無難なことしかいえない。
 逆に、「これをオススメしたい!」「聞いてくれ!」という自信がある作品を観たり読んだりしたときに限って聞かれない。聞かれてもないのに言うのは、気が引ける(ブログでは書くけれど)。


 「オススメの作品は?」と聞かれたいけど、聞かれたくない。
 もし聞くのであれば、それはとても恐ろしい質問だということを踏まえて、そして回答に時間がかかることを覚悟して聞いていただきたい。ゆめゆめ、何も考えずに聞くようなことはしないでいただきたい……。




(笑)



といいながら今ならオススメの漫画はこれでしょうかね

2013年5月26日日曜日

参考にならないランキング

女性声優の歌手デビュー続々、世界観の構築でアプローチする新世代

 声優のCDデビューなんて珍しい話ではないと思いますが、この記事では、最近はアニメ・声優の作品を聞いてこなかった音楽ファンも聞いているのでは、とのコメントが紹介されています。あくまで一店員の単なる印象でデータはないですが、まぁそうなのかもしれません。別に悪いことでも不思議でもないのですが、それよりもランキング、特にオリコンについては、何でもかんでもいっしょくたのランキングで測るのをやめたほうがいのではないかと思います。

 海外ではラジオのジャンルにしても、音楽の種類で分けられていると思います。カントリーとロックが一緒になってることって無いのではないでしょうか。
 日本では演歌とアイドルとクラブ系と…すべて同じランキングで紹介されています。専門のチャートもあるのでしょうが、あまり聞きません。

 ランキングの数が増えると紹介が大変だとかマニアックになるとかいった弊害もありそうですが、制作者は分けて欲しいと思っているんじゃないかと思います。

 オリコン的には分けたくないのでしょうか。ランキング一位の作品が複数あれば、プロモーションに使われる回数も増える気がしますが、ありがたみがなくなってしまうでしょうか?

 しかし握手券付きのAKBのCDばかり並んだチャートを見ても何の参考にもなりません。CDが売れないという時代に一人勝ちしている、売りまくっていること自体は否定しないし、すごいと思いますが、参考にならないランキングを見せられても嬉しくもなんともありません。

 ところで冒頭の記事は、脱力な締めとなっております。
 
声優の音楽活動が定番化してきただけに、音楽性の一面だけではアピールしにくくなっている。今後は個人のキャラクターが垣間見えるような世界観を見せることで他者との差別化を図る声優が増えていきそうだ。


 ん?だから?どういうこと?