2015年5月13日水曜日

メディアが届けるものは読者が「読みたいもの」だけでいいのか――Webと新聞から考える 新時代のニュースとメディアに参加した



Webと新聞から考える 新時代のニュースとメディア~朝日新聞メディアラボで語り合う夜~に参加した。3人のパネリストのうち2人が朝日新聞の方(うち1人はハフに出向中)ということもあって、新聞出身の自分としては、もう1人のパネリスト、ログミーの川原崎晋裕さんの話のほうがササったので、振り返っておきたい。


そもそもこのイベントは、ニュース解説メディアCredo編集長の前島恵さんが、この手のメディアを考えるイベントの多くがWeb、紙などで分かれてしまっている現状に気づき、一緒にやろうと思ったこと、 「際」から生まれるものを追求したいという考えを持っていることが理由とのことだった。

この「際」という考え方は、なかなかいいと思った。

ログミーは「マネタイズできない」

川原崎さんはログミーについて、「こんなつもりじゃなかった」と話した。「書き起こしなんて誰でもできる」としながらも、「書き起こしただけじゃ読めないし、あとすごくいいタイトルが必要」と指摘。「 結局、編集力が必要で(手間がかかるので)スケールできてないのが悩み。ネタの選び方も編集力をつかう」と述べ、「書き起こしは大変すぎるわりにPVが稼げない。1時間の書き起こしに5時間かかる。 イベントの書き起こしはニーズあるが、マネタイズできない」とぶっちゃけていた。


メディアを取り巻く環境については、「ログミーが参加できる会見増えるなど、既存マスコミしかできなかったことが減ってきている」としながらも、「ログミーはメディアではなくて、ただのログ。記録をつけるのは、記者の仕事のごく一部」と定義。その上で、「(聞き込み取材をする、など) 誰もがリーチできるような情報についてはログミーでいい」と話し、ログミーを見た記者が深掘り・追加取材するといった使い方があると考えを述べた。

「大手にしかできないことがあるか」という問いに対して、朝日新聞の山川一基氏は「マスメディア、大手しかできないと思われていることが、実は求められていないのかもしれない。読まれないならやめるべきなのかという自問はある」と認めた。たとえばコストがかかる番記者などのような仕組みは、サステナブルじゃないとした。

川原崎氏は「新聞社の機能と記者の機能は分けて考えるべき。Webに一部マス(大手)の記者が移って成功している」と話していた。

新聞は「おせっかいの抱き合わせ商法」


「新興メディアの生き残りとして大手の傘下に入るということについては?」という問いについては、山川氏は「同じようなことをしているメディアが引っ付いても大きく伸びないのでは? べつのもの同士がひっつくほうが可能性はある」と話した。

読者・ユーザーがスマホなどで読めるコンテンツは増えており、好きなものを勧めてくるレコメンドエンジンもある。このため、好きなものばかり読もうと思えばできるなかで、果たしてメディアは公共性というものを求めるべきなのか、皆が知るべきことはあるのか、マスなニュースというものは必要なのかという問いが投げかけられた。

これに対し、山川氏は新聞を「おせっかいの抱き合わせ商法」とたとえた。これは、読者が「知りたい」と思っていることだけ選んで読めるわけではなく、新聞社が「知っておくべき」と思って伝えていることも購入した紙面に掲載されていることを指している。

川原崎氏は「“マスなニュース”の定義がかわってきている」と述べた。一昔前は、「テレビで流れているもの」だったが、今は「選択的にみなが見ているもの」になっていると説明した。

そこで、「知っておくべき(おせっかい)みたいな出し方をすべきかどうか」という質問については、川原崎氏は「自分が損をしないんだったら要らないんじゃないかなと思う。たとえば国民の9割が損するとか危険な目にあうとかじゃないなら……」と述べ、「マスなニュースはもっと削れるのでは」と披歴した。

座組みはよかったのか? もっと聞きたいことがあった……


ここからは感想。ログミーの原稿が、話し言葉を書き起こしたママのものではないことについては、言われてみればもっともだと思った。自分の過去の経験でも、インタビューや対談などの記事は、多かれ少なかれ手を入れてきた。取材時、その場の雰囲気や流れなどで何となく伝わった感じだったとしても、言葉にしてみると伝わるとは限らない。そもそも、その前提となる話や情報が同じ原稿に含まれているわけでもない。書き起こしをしたことがある人ならだれでも分かることだが、人が話したことはそのまま文字にしただけでは、とてもではないが読めたものではない。冗長すぎる。

そういう経験からも、川原崎さんが「大変だ」とおっしゃっていたことについて、とても納得できた。

また、「マスなニュース」に関する議論でも、「国民の9割」という川原崎さんがかなりドラスティックな例を挙げておられたのは、ちょっと驚いた。が、分かる気もした。それくらい重要であればどのメディアでも伝えようとするだろうから、メディアはもっとそれぞれの独自性を持ち、「自分(たち)はこれを届けるべきだと思う」「自分たちだからこそ気づいたんだ」ということを届けようとするくらいがちょうどいいのかもしれない。どうせ、たいがいのことはたいがいのメディアが伝えるだろうし、「いや、そうはいっても知らないニュースが結構ある」という意見もあろうが、「それって知らなくても別に困らないのでは?」と言われて反論できるだろうか。

このイベントについては、前島さんが企画した際の気づきや発想はよかったと思うが、いくら朝日新聞メディアラボでやる、お一人はハフィントン・ポストに在籍しているとはいえ、二人が朝日新聞の社員という点については、バランスがよくなかったのではないかと思った。それは「朝日」だからいけないのではなく、「同じ会社」「同じ業種」という点がひっかかるという意味ではあるけれど。

また正直に申し上げて、司会が、鼎談した三者が持っている考えをしっかり引き出せたようには思えなかった。「板」の話はともかく、企画した本人が「知りたい」と思って実行したとはいえ、有料で客を呼んでいる以上、しっかりと準備をして、「聞くべきこと」をまとめておいて欲しかった。