2013年10月4日金曜日

お前なんか嫌いだ――ビジネスで嘘をつく人や会社に「倍返し」

嫌われたくない気持ち

誰かを嫌いになることはあまりない性格と自分では思ってきたが、最近はそれをやめようと思っている。いや、さらにいえば、積極的に「嫌いな人・こと・もの」をつくろうと思っている。

 曽根綾子さんや加藤諦三さんの著書は有名だが、僕も多分加藤さんの本のタイトルにあるように、「嫌われたくない」という心理作用があって、誰かを嫌いになったりしなかったのだろうと思う。

嫌われたくないという気持ちは、自信の無さの現れではないかと思う。自分に自信があれば、嫌われたって構わないと思えるからだ。だからといって、誰かや何かを積極的に嫌おうと思っているのは、何も自信がついたからというわけではない。

 「キリがない」ということにようやく気づいて来たからだ。

 自分も来年で40歳になる。まだ40歳ともいえるが、自分のこととして考えるとやはりもう40歳だ。はっきりいって、無駄なことや無駄な人に時間を使っていてはいけないと思っている。もともと出不精で、友達や知り合いと「今度また」といってなかなか会わないということが続いている。社交辞令でいっているつもりではないのだが、積極的に会う機会をつくるほどの行動力がないことと、ここ数年仕事でバタバタしていて、「落ち着いたら」と思っていることが理由だ。

 しかし、こう考えても多分、いつまでたっても落ち着かないんだと思う。傍からみて、時期を比較して落ち着いたといえる時期はあるかもしれないが、自分はいつも多分気ぜわしくしているだろう。いつまでたっても落ち着かないと思う。

 そして、会いたい人がたくさんいる。会えてない人がたくさんいる。
 このままだと、結局会わずじまいでジジイになってしまいそうで怖い。
 だから会いたい人に会って行こうと思っている。
(ただ難しいことに、会いたいからといって誰でも会ってくれるわけではない。かなり仲がいい人ならともかく、仕事などでちょっと会っただけだったりすると、それなりの会う意味・意義をもたらせなければとも思う。そういう意味で、自分に自信をつけなければと痛感している。自信をつけるために、やれることはやり、やれていないことに挑戦しなければと思い、少しずつ取り組んでいる)

その嘘は相手の為か それとも自分の為か


 会いたい人に会うことと、嫌いな人をつくることに何の関係があるかといえば、嫌いな人にはもう時間を割かないと決められる、ということだ。

 ここ数年、仕事でバタバタしていたと上に書いた。このブログでもFJの休刊などは書いて来たが、会社のことなど、書ききれていないこと、書けないことでもいろいろあった。

 その中で、自分が社員や取引先、外注スタッフに嫌な思いをさせたこともたくさんあったと思う。

 でも、自分も本当に嫌な思いをたくさんさせられてきた。

 問いただせば相手にも言い分はあるかもしれない。僕は僕の立場でしか話せないし、これを読んでくださっている方には僕の言い分しか伝えられない。だけど、自信を持って「相手に非がある」と言える体験をたくさんしてきた。よかれと思ってやったことに対して裏切られたり、言わないと言っていたことを勝手にバラしていたり、あからさまに人を無視したり、人の行為を簡単に無碍にしたりと、人の嫌なところをたくさん見てきた。

 上にも書いたように、僕だって仕事上で相手に嫌な思いをさせたことはいっぱいあっただろう。申し訳ない事をしたと思えることは山ほどある。やるといってできなかったこと、やらないつもりでいてやってしまったこともある。結果として裏切る形になったことだってある。自分の能力を買いかぶってなどいない。

 ただし、そういう結果になってしまったのは、自分に能力がなかったからだ。「やらない」といった時とは事情が変わったからだ。違った形で義理が十分に果たせたと思えたからだ(そういう場合も、「自分が相手の立場だったら、それでよしと思える」と判断すれば、それは問題ないと考える)。
 いずれにしても、第三者に自分の行動をロジカルに説明できると思う。逆に相手に問いただしたいと思ったことも何度もある。きっとできないだろう。

 人は嘘をつく。僕もたくさんの嘘をついて人を傷つけてきた。申し訳なく思い、反省もしている。

 でも仕事で相手に嘘をついてはいけない。同じ会社でも違う会社でも。相手が下請けだから、弱いからといって騙すようなことをしてはいけない。仕事・ビジネスで人や会社をつなげるのは信頼だ。それを損ねてはいけない。関係が失われていい(もう取引しない、辞めるから)といって嘘をついていいはずもない。 
 たしかに「噓も方便」ともいうし、「やさしい嘘」もあると思う。だがそれがいえるのは、それが相手の嘘のときだけだ。自分を守る為の嘘は保身・逃げ、おためごかしでしかない。そして、言いたくないことほど、ちゃんと言わなければいけないと思う。


 でもそれをしない人、会社がある。そういう人や会社に、もう分かって欲しいと思わない。分かり合えるとも思わない。時間の無駄だ。キリがない。だからしっかり線を引き、時間を、会いたい、もっと知りたいと思える人に注ごうと思う。
 
 そういう人や会社に嫌われたって構わないのだ。


 * * *


 とはいえ、報いられるべきは報いられるべきだ。時間の無駄だから放っておくのではなく、分からせることも責任だ。しかと報いるべきと判断した相手に対してはきっちりと報いる。半沢直樹流にいえば「倍返し」だ。


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