2017年1月12日木曜日

価値を見つける労をいとわないこと--TX「家、ついていってイイですか?」が面白い

テレビ東京ウェブサイト
テレビ東京Webサイトより


「誰でも自分の人生を題材に一冊くらいは本が書ける」--。

とそんなことを聞いた覚えがある。
それが本当かどうかは分からないし、その本(人生)が誰にとって面白いのか、役にたつのかたたないのか、売れるのか売れないのかは分からない。でもきっとそうなんだろうなあと思っている。

実はよく知っていると思っていた友達が、これまで機会がなくて話してくれなかっただけで意外な才能をもっていたり経験をしていたりする。何かの拍子でその話になって、「え、そんな経験したことあるの?」という人も実はいたりするものだ。

誰もがそれぞれ、誰とも違う人生をおくっている。似たような境遇にいるように見える人同士であっても、まったく同じ人生の人なんてない。ここで何も「ナンバーワンよりオンリーワン」とかいうつもりはない。いや、そもそも「オンリーワンになること」はそうたやすいことではない。

(ただ、人生のあらゆる場面や局面においてオンリーワンにはなれなくても、いくつかの条件を組み合わせることで誰もがオンリーワンといえるのだろうなとも思う。そのオンリーワンである場面や局面が多い人の本ほど、売れるだろうし面白いのだろう。逆に「いくつかの条件」が多くなればなるほど(枷が増えて)ニッチな本といえるだろう)

仕事柄、多くの人に会っていろんな話を聴くが、それなりに聴きだす力はあるのだろうと(自分では)思っている。それは何も、相手がいいたくないことを理詰めで言わせる能力があるとかいうことではない。事件記者でも調査報道に従事するジャーナリストでもないので、取材相手に聞いているのは基本的には前向きなこと、ネガティブではないことが中心だ。だから「聞きづらい質問」を投げかけているジャーナリストや記者に比べれば、ハードルは高くないのかもしれない。

それでも、同じインタビュイーに複数のインタビュアーが話を聴くとして、別のインタビュアーが聞き出せなかったことを聴き出そうとしている。ほかの取材者との比較はなかなか難しいのだけれど、自分は比較的聴きだせるほうなのではないかと思う。

同じ人に同じテーマで取材しても、返事・回答は(似ているようで)違うものだ。

それは聞き方が違うからだ。本質的には同じ質問でも、聞き方が違えば返事や回答のニュアンスが変わることはよくある。だからうまい(と思える)聞き方をしなければいけない。

そして、これは賛否あるかもしれないが、自分は、その返事・回答(言葉)が持つ本当の意味をくみとって記事にしたりもする。現場でインタビュイーが発した一言一句が、本当にその人が言いたかったことなのか、その記事を読む読者が知りたかったことなのか、それをよく考えて、違うと思えば自分なりの解釈を入れながら構成する。
「本当はこういいたかったんですよね」
と。

人にまでススメるほど好きな番組


TXのバラエティ番組「家、ついて行ってイイですか」が好きで録画してすべて見ている。深夜放送の時代から好きで、時間が繰り上がった今も見ているし、人にも勧めている。

ご存じの方も多いだろうが、終電を逃した人にタクシー代を出すかわりに家についていき、インタビューをするというものだ。銭湯の回数券をあげるかわりに、とか移動販売の買い物代金を払うかわりに、というパターンもある。

とにかく、いろんな変わった人が出てきて面白い。いや、見た目からして変わった人もいるのだが、面白いのはそうではなくて、ついていったら意外にも……ということがおうおうにしてあるからだ。

今パッと思いつくだけでも、たとえば……

息子も自衛官に志しているというシングルマザーのかわいらしい見た目の女性自衛官。ミュージシャンとして活動している元AV女優。60代の彼女がいるというモテモテ80代のおじいさん。メイド喫茶を経営する20代の若者。ラップ音が聞こえるという家に平気で住み、見た目は軽そうなのに警官をめざして地域の安全ボランティア活動に従事している男子大学生。何人もの女性と同時に付き合っていたYouTuberの元カレの悪口を、同時に付き合っていた女性たちとLINEで文句言い合うという女子大生。

とにかくいろいろだ。

この番組のロケは当然終電が出た後に行われている。自分も新聞記者時代に、コメント採りなどで街頭で一般の人に話しかけたりしていたので大変さは分かる。

しかしこのサイトで紹介されていた実態は想像をはるかに超える大変さだった。

担当ディレクターさんは、それまで2年で2000人以上に声をかけ、家まで行けたのは30人ほど。そしてオンエアされたのは15人ほどで、それでも40人のディレクターの中では打率が高いほうだそうだ。

それではこのディレクターさんが話を聴けたけどオンエアできなかった15人の人生がつまらないものなのか、というとそうではないだろう。

まず深夜で酔っている可能性が高いし、いきなりビデオを回されてうまく話せる人などそんなにいない。担当ディレクターさんとの相性が悪くて話す気分になれなかっかもしれないし、疲れて面倒になってしまった人もいただろう。深夜の数時間、練習ナシ準備ナシのぶっつけ本番だ。そうそうすべてがうまくいくわけではないのだ。

たしかに、オンエアにいたらなかった人たちの話や体験は、どんなに準備して撮影しなおしても、TVという公共の電波に乗せる、視聴率が求められる(それもゴールデンタイム放送)パッケージには入れられるほどではなかったのかもしれない。その意味においては、「つまらなかった(採用できなかった)」のかもしれない。「人生を本にできる」という考え方からすれば、大手出版社の外せない単行本として出せるものではなかったのかもしれない。

だが、読者のすべてが大手の単行本を求めているわけではない。1人出版社のこだわりの薄い冊子を求めている人もいるはずだ。そう考えればやっぱり、誰の人生もつまらないわけではないし、誰の人生だって本にだってできるだけの「面白さ(価値)」はあるのだと思う。

この番組の場合、さらに大変だと思うことは、文章ではなく映像である点だ。映像でも、組み立て方、切り取り方によって視聴者の意識をコントロールすることはできるが、文章ほどには自由度はない。極端な話、言ってもないことを言わせることは、文章ならできるが映像ではできない。

そういう意味でもこの番組の作り手は大変だと思う。厳しい条件の中でも、しつこく取材・撮影を繰り返し、上で挙げたような、実に面白い、興味深い人生の断面をこの番組は切り取っている。自分が一生会わないだろう人たちの、参考になったりならなかったりする、いろんな体験、考え、境遇。実に示唆に富んでいる。

この番組がなぜ面白いのかは、作り手が面白い話をしてくれる人を見つけるまでの労を厭っていないからだ。

深夜、寒かったり雨だったりしても駅前に立って声をかけつづけること。楽に、適当に出てくれる人を見つけるのではなく誠実に探し、口説き、質問を投げかけ、時にはちょっと嫌がるところも撮らせてもらう。そういう一つひとつのことに対して、面倒がらずに、楽をせずに向き合って、つくりつづけているからに違いない。

あらためて思うが、「モノをつくる」仕事をしていて、つくるものに手を抜いたらオワリだ。きっと受け手に気づかれて、何も告げずに去られてしまう。でも真摯に(当たり前に)つくりつづけていれば、受け手の輪は広がって、この番組のように深夜からゴールデンに格上げという結果まで得られるのだろう。

全国の書店で並ぶ単行本と、流通経路がほとんどない小冊子。どちらがエラいわけではない。後者は手を抜いていいわけではない。作り手がかける思いの熱量は同じ(であるべき)だ。