2014年7月1日火曜日

セクハラヤジと水漏れ事件で感じたイタい加害者の存在 



先日、オフィスビルで水漏れ被害を受けた。

こちらは一方的な被害者なのだが、一ヶ月たってもお詫びもなく業を煮やして話し合いの場を持ったのだが、相手は外国人で文化が違うのか、詫びようとしない。相手の部屋の大家はこちらの大家と違っており、向こうは向こうで保険会社や大家と話し合いをしたのだろう、「自分たちに責任はない」と言い張る(実際はもっとひどい言葉だった)。訴えれば絶対に勝てる自信もあったのだが、こちらの側の大家さんがとてもいい人で、大家同士でもめさせるのはかわいそうなので、最低限壊れたキーボードの買い替え費用だけで終わらせることにした。

そこで思ったのは、向こうの頭の中には「お金を払う=責任がある=悪い」という図式があったのではないかということだ。

本当に自分たちが悪くないと思っているのだとしたら、相当イタい。けれど、そうではなくて、すでに向こうは話し合いをして、賠償責任は大家なり保険会社なりにあるということを確認していたのだろう。とするとやはり、「自分たちにお金を払う義務はない」だから「悪くない」、そして「謝る義務はない」ということになったのではないだろうか。

水が階下に漏れたのはビルに問題があったのだとしても、普通に使っていれば漏れなかったわけで、100%問題が借り主になかったわけではないと思われる(このあたりの説明は先方の大家が要領悪くよく分からないが、借り主の管理がまったく問題がなかったとは到底思えない)。この場合、日本人的感覚(敢えてこういう言い方をするが)からすると、まずは申し訳なかったとお詫びをしたうえで、そこではじめて「被害の賠償については保険会社から……」ということになるのが普通の感覚だと思う。

こういうことがあってすぐ、都議会のセクハラヤジ問題があった。

とかくセクハラでは、加害者自身が加害者であることを自覚していないことが多いように思えるが、今回の事件で驚きだったのは、どんなに責められても「あれはセクハラじゃない」と言い張る人が見受けられたことだ。発言などの加害行為をしてなお気づかないとしても、言われた相手がハラスメントを受けたと言っているのに、「違う」というのは何を根拠にそういえるのか、まったくもって理解しがたい。 

セクシャルハラスメントのsexをいわゆる性交(をにおわせる)という意味で捉えている人がいることも驚きだったし、性別に由来するのだと言われても認めないのは、これもイタいとしか思えない。

こういうことをいうと、塩村議員を擁護するのかとか言われそうだけれど、別に擁護もしないし、政治家として支持しているわ分けでもない。それに、そもそもそんな過去は今回のことに関係ない。

彼女はたしかに議員になる前に年の差婚についてヒドい物言いをTwitterでしていて、過去とはいえ「ひどいことを言うなぁ、信じられん」とすら思う。

だが、だから何だというのだろうか。相手が誰だから、どんな人だから、あの発言が許されるわけがない。塩村議員がヒステリックになって加害者であることを世にアピールしたり、自分の政治家としての知名度をあげようとしたりすることを容認するつもりはない。だけど逆に、マスコミやネット住民が、今回のセクハラヤジ発言とは直接関係のない過去を掘り起こして、彼女が反論するに値する人間かどうか検証することも容認できない。

過去は過去。今回のセクハラはセクハラだ。



被害を受けたと主張する人が出たら加害行為は当然あったのだ……とは言えない。それはセクハラだってそうだ。えん罪だってあり得る。それに、ときに人は自分の被害は大きく言うものだ。被害者の顔をした加害者だって世の中には居る。しかし、加害者であると指摘をされた人がまずすべきなのは、可能な限り客観的な視点から自らの行為が被害を生んだかどうかを検証することだ。その結果を真摯に受け止め、謝るべきは謝ることではないかと思う。もちろん、反論すべしという結果であれば、しっかり反論すべきだ。何か言われたら謝る、というのはおかしい。



しかし、こんな当たり前のことがなかなかできないんだよなぁ……。謝るべきと思ったらちゃんと謝ろう(=謝らなくていいと思ったら謝らない)と思った2つの事件でした。