2014年5月19日月曜日

デジタルネイティブでないクリエイターの未来ーー『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である」(小林弘人著)を読んで



『ウェブとはすなわち現実世界の未来図である』(小林弘人、PHP新書)、あっという間に読みおえた。紙やウェブでいろいろな媒体を立ち上げ、経営も、表現もし続けてきた著者ならではの分析と提言が詰まった一冊で、一読の価値ありだと思う。


新書で紙幅が限られていることもあってか、駆け足の説明になっているところもあるような気もした。ギークの皆さん、「ワイアード読んでます」という方々にはちょっと物足りないかもしれない。でもテック好きでコードもちょっと触れる程度の文系の僕にはちょうどよかった。自分のようにアナログな時代に生まれ育って制作を始め、デジタルに移行してがちゃがちゃやっている、非デジタルネイティブなクリエイター・制作者にはとてもいい整理になる一冊だ。

本書では、まずGoogleやFacebookをはじめとしたウェブサービスがなぜ支持されるに至ったのか、その意味について説明されているのだけれど、そうした事象がなぜ起きたのか、どういう意味を持つのかという説明にとどまっていない。

1章で「ウェブ2.0以降の世界はこう変わった」、2章で「『シェア』が生み出す新しい資本主義」と、数年前から最近までの動きを振り返る。続く3章では「なぜ日本企業は『オープン』に対応できないのか」を考え、そして4章で「『ウェブをコピーした社会』が向かう未来」を示す。最後の5章で「常識の通じない時代を生き抜く『7つの視座』」なるものを提言している。

特にネットやウェブサービスに強い関心がなくても、ビジネスパーソンなら特に3章以降は役に立つ。

ここで著者は、日本企業が新しいビジネスモデルを生み出せない理由を2つ挙げている。一つはディテールを愛しすぎてしまうこと(職人魂で目前だけを注視してしまう)で、もう一つは思考停止タイプ(いわく、世の中は複雑になっておりとにかく考え抜くしかない。情報収集だけでなく試論しつづけなければならないが、新しいことを考えるのはそれまでの考えの否定で苦痛を伴う……)だという。

そして日本企業は「上司説得型マーケティング」をしていることがいけないと喝破する。説明(説得)を受けた上司も責任をとりたくないから決断せず、部下に対して、「おまえの企画は市場がみえない。あるかもしれないが、いまは見えない。いま売れ筋のアイデアをもってこい」などとのたまう。その結果、他社のヒット商品に似たアイデアを出す事をよぎなくされ、モチベーションも低下し、各社横並びの商品・サービス展開になってしまうーーというのだ。こうした”ユーザーを向いてない”上司説得型マーケティングを続けていてもイノベーションなど起きるはずがないのは自明だろう。著者は「アイデアを口にしても『夢みたいなことはいいから、来月のノルマを稼いでくれ』という返事が返ってくることは多い。しかしほんとうはアイデアを出しつづけていくことだけが、生き残る術なのだ」(p.132)とストレートに言う。


本書で特に注目したいと思ったのが、”クリエイター”と呼ばれる職種の人たちに求められていることの指摘だ。

まず著者は「クリエイティブはいま、ますます『全人的』になっている」と分析する。

その説明はこうだ。
多くのクリエイターが、美的な部分は理解していても、ビジネスについては営業に任せるという考え方を(以前から)もっていた。しかし今は、顧客を囲い見込み、どう導くのかという”大きな”デザインが求められる時代になっており、(クリエイターも)新たなスキルセットが必要とされている。またウェブだけではなくマス媒体からターゲット層別のウェブ媒体、ソーシャルメディアなどの戦略立案が求められ、最終的に目標にユーザーを導けているかという多角的なアプローチ、分析が要求されるようになっている。
つまり、求められるクリエイティブの概念が上位レイヤーへ移行しており、美麗な映像や惹句を制作するという行為は「素材提供」という位置づけになっている……というのだ。

しかし、クリエイティブが全人的になっているからといって、あらゆる視点やいろんな角度からの分析・判断などすべてが一人できるようになれと説いているわけではない。
著者が勧めるのは「文系と理系のタッグ」だ。
サイエンティスト(=理系)とロマンティスト(=文系)はますますタッグを組まなくてはいけない。一人の人間が双方をかねるのは難しい。一人が全人的な要求をされ、それを解決するのはほぼ不可能だろう。そこでいかにほかの人の力を借りられるかが、企業においても、個人においてもカギになる。繰り返そう。オープン化の進むウェブ社会では、周囲の人の力を”素敵に借りる”ことがポイントなのだ。(p.136)
「できる人の力を借りる」ことについては、これまでにいろんな人が言っているけれど、”素敵に借りる”というのは単純にいい表現。簡単なようで難しいが、そうできるようになりたいものだ。

自分もこれまでな制作に関わってきて、それなりにいろいろできるようになった。けれど、その経験とスキルを過信すると、「自分ができる範囲」でつくろうとしてしまい、小さくまとめてしまう恐れがあるなと思った。それはいわゆる制作、クリエイティブに限らないことかもしれない。社会人として経験を積むにつれ、それまでの経験が活かせる反面、経験していないことへの対応ができなかったり、自分の知識だけで解決しようとしてしまったり……。

そして、自分でできそうにないことに、知らず知らずのうちに目をつぶってしまうとすれば、こんなに恐ろしいことはない。

* * *

ところで、本書を読む直前にはこちらを読んだ。これも2日くらいで一気に読み終えたが、プログラミングをやったことがない人や、僕みたいに文系でプログラミングをかじったという人は読むといいと思う。「プログラミングなんてしないから(読む必要ない)」というのは読まない理由にならない。アルゴリズムやプログラムというものの理解は、もう欠かせない時代になっている。