2014年2月24日月曜日

選挙の思い出(出たことはないけれど)ーー記者時代に取材したこと、退職後に事務所でバイトしたこと



 故郷・山口県の知事選挙で41歳の候補が当選したと聞いて驚いた。三重県知事に次いで全国で2番目に若いという。政策はよく知らないが年齢だけでいえば歓迎だ。しかしど田舎だけに議会対策には苦労するだろう。報道を見ると、原発問題については語らずに当選したなどとあり、争点にはならなかったようだ。前回、反原発を掲げて立候補した人はどうしたんだろうと思ってググったら、こんなインタビューがあった。読んでもなぜ出なかったのかよく分からないけれど、スタンスを支持している訳ではないので別にいい。

 選挙といえばいろいろ思い出がある。別に出た訳ではないが、記者時代は取材したし、アルバイトもやった。


 新聞社に入ってすぐのころ、1996年当時、まだカメラはフィルム全盛、原稿もワープロが導入され始めたばかりだった。大学生時代から結構先んじてパソコン(先輩に借りたMacintosh Quadra)を触っていた自分としては「新聞社はなんて遅れてるんだ」と驚いた。その後デジタルカメラが導入され、バンザイをする候補の目の前でカメラマンが撮影したデータをPCで送信するようになり、「やれやれ、やっとそういう時代がきたか」と思ったものだ。

 駆け出し時代は警察や事件・事故を担当するので、選挙の取材というより投開票直後の2課の動きのほうが厄介だった。特に田舎は、人的なつながりの実態と公職選挙法との間でギャップがあり、選挙の度に(大小の差こそあれ)逮捕・検挙事案が起きていた。

 開票作業の時は、最初に写真を撮って送ったら、あとは報道のスペースで票の束の山を見て当確を読む。国政とか注目の選挙なら出口調査もやるだろうけれど、田舎の首長選ではそれはない。開票所は体育館などで、選挙結果が利権に直接的に関わる人たちなのだろうか、結構にぎわっていたと思う。応援している候補の事務所に行けないこともあるのが、田舎の特徴なのかもしれない。

 記者を辞めて社会人学生をやり、卒業した年に参議院選候補の事務所でのアルバイトもした。候補のウェブサイトをつくり、法定ビラやリーフレット、ハガキもつくった。ライティング、デザイン、コーディングなどあれこれやった。毎日遅くまで事務所にいたけど、短期決戦はお祭りのようで、事務所は高揚感に包まれていた記憶がある。それまで何度も選挙事務所に行くことはあったが、いつも記者として行っていたので、「ナカの人」として見た選挙事務所はまた違ったものだった。
 結果的に応援した候補は落選してしまった。その後も事務所を続けるので慰留されたけれど、ウェブや映像をやりたいと思って新聞社を辞めたから、一度も制作の仕事をせずに政治家の事務所に入るのはさすがに……と思って断ったんだった。

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 議員や首長はいわゆる政治活動だけでなく、週末もイベントや会合に出たり忙しい。イベントといっても政治・行政関係のものだけでなく、冠婚葬祭なんかもあって大変だ。パーティーに出て酒をついだり飲んだり。変な陳情や嫌がらせもある。地方議員や首長だと家の周りは有権者ばかりだし。とてもじゃないけど自分にはできないと思う。選ばれた人にはしっかりがんばってもらいたい。