2013年11月18日月曜日

堀江貴文『ゼロ』感想——キョドらないためにはスタートラインに立ち、一歩を踏み出すしかない


堀江さんの新刊『ゼロ』を読みました。買ったまま未読の本もたまっていたので、「ちょっとだけ読んで、あとはまた後日ゆっくり……」と思ったらとんでもない、面白くて数時間で一気に読み終えました。堀江さんの本は結構読んでいるのですが、八女時代の話や両親の話など詳しく書かれていて新たな発見もかなりありましたし、本書への力の入れようがうかがえました(そうそうたるメンバーが制作・販売・宣伝にあたっていますが、ミリオンセラープロジェクトってのもストレートでいいですね)。





 読み始めてすぐは「いつもの堀江節だなぁー」と軽く思っていたのですが、一気に読み終えたくらいなのでやっぱり面白くて、気づけばかなりのページに印をつけていたので、以下で印をつけた箇所を引用、紹介してみたいと思います。

人が新しい一歩を踏み出そうとするとき、次へのステップに進もうとするときそのスタートラインにおいては、誰もが等しくゼロなのだ。
つまり、「掛け算の答え」を求めているあなたはいま、「ゼロ」なのである。
そしてゼロになにを掛けたところで、ゼロのままだ。物事の出発点は「掛け算」ではなく、必ず「足し算」でなければならない。まずはゼロとしての自分に、小さなイチを足す。小さく地道な一歩を踏み出す。ほんとうの成功とは、そこから始まるのだ。(p.28)

 堀江さんがゼロかどうかツッコむ人もいるかもしれませんが、そんなこたぁどうだっていい。要は読んだ自分がどうかということ。そして、何かを始めるときはいきなり掛け算ではなく、一を足すということ。それが大事ってことですよね。

たとえばビジネスでも、転職したいとか、社内で新規事業を興したいとか、起業したいといった希望を持ちながらも、なかなか行動に移せない人がいる。
そういう人は、僕が女の子にキョドっていたように、仕事や人生に怖じ気づいているのだ。仕事にキョドり、人生にキョドっているのだ。(p.94)

 なるほどね。仕事にキョドり、人生にキョドっている。鋭く分かりやすい指摘だと思います。キョドってんなぁ、俺も。

あなたはいま、働くことを「何かを我慢すること」だと思っていないだろうか?
そして給料のことを「我慢と引き替えに受け取る対価」だと思っていないだろうか?(p.119)

 これは多くのサラリーマンが今一度自分の胸に手を当てて考えてみるべき言葉だと思う。

お金を「もらう」だけの仕事を、お金を「稼ぐ」仕事に変えていこう。
儲けるために働くのではなく、お金から自由になるために働こう。(p.122)

 堀江さんには『稼ぐか勝ち』という著書がありました。
まさに、稼ぐは”勝ち”であり、”価値”だと思います。

やりがいとは、業種や職種によって規定されるものではない。
そして「仕事をつくる」とは、なにも新規事業を起ち上げることだけをさすのではない。能動的に取り組むプロセス自体が「仕事をつくる」ことなのだ。(p.127)

 これまた謹言だと思う。
 そもそもやりがいなんて自分で見つけるもの、つくるもの。与えられるものではないと思う(上に立つと「与えよう」と考えますけどね)。またどんな仕事であっても、クリエイティブに取り組める人とそうでない人がいます。事務作業といってもいいようなことであっても、工夫がある人とない人がいます。一緒に働くならどっちがいいか考えたら、悩むまでもありません。

まったくモテないオタク男子が、「掛け算によるショートカット」を求めて恋愛テクニック本を読み漁る(中略)。はたして、これで一挙にモテまくるようになるだろうか?
もちろん無理である。なぜなら、彼に掛けているのは恋愛テクニックではなく、もっと根本的な「自信」だからだ。(p.152)

 自信がないからキョドるんですよね。自信をつけるには経験が必要で、経験は小さな一歩からということになるでしょう。ビジネスでも恋愛でもなんでも、何かを始めることの大変さは共通していて、でも始めないと、始まらない。

多くの人は混同しているが、「悩む」と「考える」の間には、決定的な違いがある。
まず、「悩む」とは物事を複雑にしていく行為だ。(中略)
一方の「考える」とは、物事をシンプルにしてく行為である(後略)。(p.161)

 見事にギクリとさせられる説明で、本質を突いていると思うけれど、分かっていても難しい。自分では考えているつもりでも、単に悩んでいるだけなのかもしれない。そこはいかに客観的に分析できるかなんだろうけど。キレる人はそれができるんですよね。

いま、なかなか一歩を踏み出せずにいる人は、孤独や寂しさへの耐性が足りないのではないだろうか。少しでも寂しくなったら、すぐに誰かを頼る。孤独を感じたら、誰かに泣きつく、そんなことでは、いつまでたっても自立することはできず、自分の頭で決断を下すこともできない。(p.175)

 孤独であることがいいというわけではなくて、孤独になることを恐れてはいけないですよね。何かを守るということは、強さにもなり、弱さにもなる。時には誰かに甘えてもいいと思うけど、どこに線を引くべきかも難しいですね。

自分にはなにもできない、どうせ自分はこんなもんだ、この年齢ではもう遅いーー。
もしもそんな不自由さを感じているとしたら、それは時代や環境のせいではなく、ただ思考が停止しているだけである。あなたは考えることをやめ、「できっこない」と心のフタを閉じているから、自由を実感できないのだ。(p.196)

 おっしゃる通り。不自由さを感じているなら、それを取り除く努力をすべきは自分であり、それをせずに不自由さを嘆いても仕方ないしみっともない。
 でも、不自由さを感じるということは、逆に言えば現状に満足しない向上心があるのかもしれないし、気づかずにまやかしの幸せを信じて生き続けるのよりもいいなとも思いました。

自分の本業なんて、決める必要はない。(中略)
そこで勝負を分けるのが、スピードと実行力である。
手持ちのアイデアを、いかに具体的な行動に落とし込めるか。そのために一歩踏み出す勇気を持ち合わせているか。
口先のアイデアを披瀝しても、なんら評価の対象にはならない。アイデアを実行に写し、誰よりも早くかたちにできた人だけが評価されるのだ。 (p.215)


 これは自分的にかなりグッときた。自分もあれこれやっていて、どこかに絞ったほうがいいのではないかとよく考えるからだ。堀江さんはどれも徹底していて中途半端ではないのだろうから、それくらいの深さやスピード感、豊富なアイデアとともにやっていくならいいのかもしれない。何もあれこれ手を出せといっているわけではないし、

やりたいならやれよ、でも必死こいてやって成果にしろよ(でないと意味ねぇよ)

ということなのでしょう。

 堀江さんを嫌っている人は多いですが、それも致し方ないと最近とみに思います。なんせ、山本太郎議員への苦情をやまもといちろうさんや河野太郎議員に言う人がいるくらいですからね。要は人はそんなに他人について詳しく、正確に知ろうなんて思わないですから。
 少なくとも僕は堀江さんの考え方や生き方には賛同するところが多いし、カッコいいと思います。こうやって褒めると全面的に礼賛してるようですが、そういうつもりはないし、嫌ってる人を説得までしようとは思いません。時間は限られてますから。
 でも、彼の考え方を、堀江さんそのものを嫌っている方こそ、本書をご一読されてはどうでしょうか。特に日常に不自由さを感じている方、不平不満をよく口にされる方。そして本書に冷静に客観的に批判してみてください。


 本書を読んだ誰もが、それぞれのスタートラインに立てると思います。