2013年11月21日木曜日

答えになっていない答え、もしくはサービスが不十分な答え



R25の「今週の彼女」で佐々木希さんのインタビュー記事が出ていて、見出しが「好きなタイプは落ち着く人」とあって、「またそのパターンか」と思ってしまいました。そこは見出しなので本文を読んでみると、




─ 理想の男性とデートコースは?

一緒にいて落ち着く人が理想です。紅葉デートをして、のんびり歩いて、温泉に入りたいです。

とあります。こんな紙幅の限られたインタビューでは言葉足らずになるのは仕方ないのですが、この手の質問に限らずよく思うのは、

それは答えになってない

という回答がよくあるということです。

佐々木さんのインタビューの件でいえば、「一緒にいて落ち着くのはどういう人か」ということを言ってはじめて、理想の男性のタイプが浮かび上がるわけです。

その人物像を描写するのに、漠然とした描写をする人もいれば、「例えばこういうときにこういう行動をとる人」といった具体的な事例を交えた回答をする人もいるでしょう。

いや、この意見への反論として、「理想のタイプを聞かれて、必ずしも皆が『一緒にいて落ち着く人がいい』と答えるとは限らない。『いつも刺激を与えてくれる人』という真逆の答えの人もいるだろう。だから、そのタイプを答えただけで十分なのだ」というものもあり得るでしょう。

確かにその通りではありますが、それでも「回答としては不十分だろう」とは思います。

それに、もっと曖昧な回答というのはよくあります。

たとえば好きなタイプを聞かれて「カッコいい人」とか「優しい人」とかいう答え。たしかにこれだって、「『カッコいい人』と答えた人はつまり、優しさや頼もしさといった他の性格を差し置いて外見を挙げているんだから、そのことから何を重視しているか分かるじゃないか」という解釈もできなくはありません。

しかし、それでも聞く側としては、「どういう人をカッコいいと思うのか」が聞きたいし、さらにいえば「なぜカッコいい人がいいのか」を知りたいと思うのではないかと考えるのです。

記事になるインタビューと、そこらで行われている質問—回答では違う面もあるかもしれませんが、自分がインタビュアーだったら、やはりそのあたりは聞きたいと思うし、逆に自分がインタビュイーだったら、相手は自分に関心を持ってくれてるわけで(もしくはインタビュアーが興味がなくても、読者は興味を持つはずという前提でインタビューをしているわけで)、それならちゃんと自分の考えが伝わるように答えたい、サービスしたいと思うんじゃないかなぁ、と考えるのです。




そうか、変わるのか。