2012年11月22日木曜日

なぜ「嫌い・ダメ」なのか――「悪の教典」はたしかに気持ち悪い映画だけど


© 2012「悪の教典」製作委員会

“つまり今回の大島号泣の一件も、仕込みではあったが、関係者のほとんどが何も知らされていなかったため、結果的に大混乱を招いてしまったということなのだろう。”
サイゾーウーマンでこう解説されている、「『悪の教典』AKB48特別上映会」での大島優子号泣、中座事件。このニュースが流れる前に本作を観ていた私としては、「話題作りかもしれないなぁ」とも、「本当に気持ち悪くなって中座したのが本当かもしれないなぁ」とも思った。
 
 本作は、生徒にも同僚にもウケのいい高校の英語教師・蓮見が実はサイコパスで、自分の悪事を隠すために、学園祭の準備で泊まり込んでいたクラスの生徒たちを朝までに全員殺そうとする話だ。海猿のさわやかマッチョイメージを覆そうと伊藤英明君ががんばって主演している。
 私は原作は読んでいないのだが、とても気持ち悪い、後味のよくない映画だった。

 そりゃそうだ。高校生が次々にショットガンで殺されていくんだから、気持ちがいいはずがない。

 この中座事件の日、大島優子はこういうコメントを残している。
「わたしはこの映画が嫌いです。命が簡単に奪われていくたびに、涙が止まりませんでした。映画なんだからという方もいるかもしれませんが、わたしはダメでした。ごめんなさい」
こんなふうに「“私は”ダメ」と言われてしまうと、「そんなのおかしい」と言えなくなるが、ただエンターテインメントに関わる身であることを考えれば、これをマジで言ってるのなら問題ありだろう。(当日、配給の東宝が「真実は映画を見て判断してほしい」とコメントしているあたり、話題作りの色合いも濃い気はするのだが、その真偽は分からないのでこれ以上は触れない)。
 生徒が次々に殺されていく様を観ていて気持ちいいはずはない。だが、そもそも人が死ぬ映画なんていっぱいある。現実に人は死んでいる。殺されている。ではなぜ“この映画はダメ”ということになるのだろうか。

 現代の日本が舞台で、若い高校生が殺されるからなのか。
 じゃあ日本人じゃなければどうなんだろう? 高校生じゃなければ? さらに言えば、殺されるのが人間じゃない生物ならどうなんだろう?

 そういうことではないのだろうか。

 嫌なことから目を背ける権利も、観ない権利もある。
 でも、たとえそれがフィクションであっても「観たくない」なんて、女優が言ってていいのだろうか。フィクションの力、演技の力、映画の力というものを信じてないのだろうか。女優としてのプライド、矜持は上映終了まで自身を席にとどめるほどではなかったのだろうか。
 メンタルからイヤだと言うのは簡単。プレイヤーなんだから、ロジカルに、クリティカルに考えて発言してほしいと思う。

 それと、最後の「ごめんなさい」は制作陣に対してなのだろうか。「なんで謝るの?」「何に対して謝るの?」という謝罪をテレビでよく聞くので、ちょっと疑問に思った。


 私の感想としては、結構面白かったと思う。何度も書くように、気持ちのいいものではないが、あやしげな、不吉な雰囲気はよく出ている。気味が悪い。最後の校内の殺戮は三池節というのか何なのか、イケイケの軽い感じはしたが、勢いもあいまってカタルシスを覚えてしまう人もいるだろうと思う。倒れた宇宙飛行士の人形を戻すところとか、細部の演出にこだわりは見られたのだけれど、もっと蓮見の人物像や、形成された過程、現在の心の中の風景を、音楽とあやしげな画による雰囲気だけではなく、演出・描写で観たかった気はした(そもそもサイコパスの心の中をロジカルに理解できるのか?とも思うが)。あと伊藤君は頑張っていたけれど、もう一つ何か足りなかった気がする。それが何か、演技の善し悪しをうまく説明できないので分析できないけれど。

 続編は観てみたいと思う。

 


その他最近、試写で観た映画。

「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」
 インドからアメリカへの航海中、大嵐で投げ出され、1匹のトラと救命艇で生き延びた男の話。トラはほとんどCGというからすごい。話のあらすじがトンデモな感じだが、そのトンデモな設定の勝利でもある。原作がどうなのかは知らないが、主人公が不思議な体験をして生き延びる話だからか、神や宗教についてのセリフや描写が多いし、海での様子がとてもスピリチュアルに描かれていて、それが強過ぎる気がする。もうちょっとサバイバルのための工夫を丁寧に描いても良かったのではないか。3Dの必要性はない気がした。ただドキドキハラハラしながら、楽しんで観ることはできます。「観るんじゃなかった」とは思わないでしょう。

パイの物語(上) (竹書房文庫)  パイの物語(下) (竹書房文庫)

「ねらわれた学園」
 ご存じ眉村卓の名作ジュブナイル[『ねらわれた学園 』 を現代に置き換えたアニメ映画。まゆゆが声優をつとめたことや主題歌をsupercellが作ったことなどで話題になりました。現在、公開中です。原作は結構昔のものなので、現代に置き換えるにあたって携帯電話を使い、コミュニケーションのあり方について一石を投じている。その点について、もっと考えさせる描き方をしてほしかった。絵づくりの面では、逆光やレンズフレアが過剰すぎる気がした。もちろん狙ってやっているのだろうけど、なぜだろう。新海誠さんの作品が好きな方はいいのかもしれないと思った。

 

「塀の中のジュリアス・シーザー」
 ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したタヴィアーニ兄弟が監督・脚本を務め、アカデミー賞外国語映画賞・イタリア代表作品に決定した本作。ローマ郊外のレビッビア刑務所で、受刑者たちが、一般人に見せるために演劇「ジュリアス・シーザー」を上演することになり、稽古が進むうち、囚人たちは次第に役と同化。刑務所がローマ帝国のようになっていく。日本でありがちな、素人が頑張って一つのことに打ち込んで、涙あり笑いありで苦難を乗り越えて最後は団結して終わり、みたいなコメディじゃない点は評価できるが、ちょっとおカタすぎる。エンターテインメントというよりアート、いやエクスペリメンタル、実験的な映画という感じ。シェイクスピアはおさえとかないといけないなと思わされた。