2013年5月13日月曜日

萎えるアニメ 萎えないドラマ――OP&ED考

 

 NHKアニメ「はなかっぱ」のOPがスパガ、EDがDream5とそれぞれ別のアイドルグループの曲になっている。特にEDはアイドルたちと着ぐるみのはなかっぱ、ももかっぱちゃんが一緒に踊っていてちょっと驚いた。キャラの着ぐるみは他のアニメにもあるが、主題歌を歌うアイドル、歌手と一緒に登場しているのは初めて見た。多分ほかにも同様の事例はあるのだろうが。この「はなかっぱ」の選曲の是非というより、アニメのOPやEDの曲選定はいつも考えさせられる、ということについて書いてみたい。

 まずタイアップどうかはともかく一番大事なのは、世界観とあっているかどうかだ。一時期、人気アーティストの楽曲をただ主題歌にしただけと思えるケースが結構あった。また人気が若干落ち目になったアーティストがどんな理由か知らないが()採用されることもあった。そういうのが一番萎える。

 人気アーティストの楽曲を使うことは、アニメファン、原作ファン以外の、そのアーティストのファンも取り込むことが期待できるメリットはある。

 しかし、それは邪道だろう。

 主題歌を選ぶのは監督や演出ではないのだろうから、押し付けられた制作陣とて忸怩たる思いはあろう。だが大人の事情で選ぶ余地がなかったとしても、視聴者全員が忖度してくれる訳ではない。そんな義務はない。ファンにしてみれば、OPやED含めた世界観を楽しみ、浸りたい。その統一感やいい意味での裏切りを期待しているし、値踏みしている。

 だからアニメの楽曲は世界観に合わせたオリジナル制作が一番いいように思う。ただ既存の曲にピッタリのものがあれば使ってもいいだろうし、アーティストに発注して作ってもらってもいい。


 最近のアニメはあまり観ていないが、それでもジョジョはOP、EDともによかった(一期、二期とも。神風動画の映像がさらに引き立ててた)。「宇宙兄弟」も楽曲やアーティストの選択にセンスがある気がする(進撃の巨人は悪くないけど、騒ぎすぎな気も)。

 OPやEDも含めて作品と考えるか、その部分をPRと考えるか、ということだろうか。


 と、ここまで考えて思ったのは、ドラマはどうだろうかということ。ドラマはタイアップじゃない楽曲はなかなか考えづらいから、よくよく考えるとドラマの筋や世界観とあってない楽曲ってかなり多いんじゃないだろうか。

 でも「ドラマはそんなもんだ」と思っているからか、楽曲の良し悪しは気にするものの、ドラマとの親和性、統一感みたいなものはあまり気にならない。これはなぜだろうか……。もしかして自分だけだろうか。よく考えてみれば、海外ドラマなんてテーマ曲は無いか、ジングルの長いやつみたいな、ちょっとしたインストだけってことも結構ある。


 楽曲は覚えてるけど本編はあまり…という作品もある(アニメ、ドラマとも)。本編が後々まで記憶されるほどの良作であれば、楽曲だって合わせて記憶されるのだろうが、ファンとしてはやはり、「なるほど」と想えない選曲はしてほしくないものだ。

2013年5月12日日曜日

お金がないから妊娠できないということの切なさ


<にんしんSOS>妊婦相談で虐待防止2割 大阪府事業で効果

 なかなかニュースへのもって生き方が苦しい感じもしますが、大阪府がこういう事業をしていたんですね。調べれば他の自治体でもやっているのかもしれませんが、妊娠の疑いが生じた時に何の懸念もなく受診できる人ばかりではないでしょう。アンケートの回答者が13歳から、というあたりからもそれは分かります。
 後のほうの段落に出ている大阪府医師会のまとめはこちら。



未受診妊婦:大阪府、3年で倍増 生活難、知識欠如

 経済的な理由で受診せずに出産した方が結構多いことに驚きます。にわかに信じがたいですが、「誰にも言えない」のではなく「お金がない」が理由というのはどうにかならないものでしょうか。

 こう書くと、「金がないのに子どもなんてつくるな」と思う方もいるかもしれませんが、それはむしろ逆で、「お金の心配をせずに子どもをつくれるように」しないといえないんじゃないですかね?


2013年5月11日土曜日

連帯責任という被害拡大システム

 

 ドラマ「ラスト・シンデレラ」の録画を昨日観ていたのですが、藤木直人さん演じる美容院の店長が学生時代野球をやっていて、甲子園の切符をつかんだのに部員の不祥事で出場辞退して出られなかったという設定でした。
 こういう話を聞くたびに、なぜ連帯責任を追わのか、何の教育になるのか疑問でなりません。

 高校野球は他のスポーツと比べて優遇されているので、有名税のようなものが押し付けられる面があっても仕方ないような気がしていましたが、よくよく考えてみればそれも酷いし、それも一昔前の話。もはや高校球児が特別という訳でもないでしょう。

 などと昨夜思っていたら、こんなニュースが。

東海大サッカー部で部員同士の暴力発覚、当面の公式戦辞退へ…

 これだけスポーツでの暴力が問題になり、ニュースにもなっているのに暴力をふるうなんて、バカとしか思えないのですが(真剣だから、というのはすり替え)、ともかく暴力行為があったとして、責任を問われるのは、暴力をふるった本人と、監督責任者、あと部長くらいでいいのではないでしょうか。

 もしそういう基準を明確に作ったとして、懸念されるのは、暴力行為があったときに、責任を問われないよう、関わらないようにする部員が多数出てくる(見てみぬふりをする、止めない)ということでしょうか。

 ですが、それだって止める奴は止めるし、止めない奴は止めないような気がします。

 所属コミュニティが責任を問われるということでいえば、大学生が事件を起こしたときに大学が会見を開きますけど、そんな必要なくないですかね? たとえばUSJでバカやったからって何で教職員が頭さげにゃならんのでしょうか? 大学の授業で行って教員が引率してて、というならまだしも。親が揃って会見を開くというなら、まだ分からなくもない気が…いや、それも違うな。大人なんだから、本人がやるべきなんきゃないですかね、もしやるなら(そもそも会見が要るかという議論もあるでしょうが)。

 やったことの責任は本人がとるべきであって、所属するコミュニティがとらなきゃいけないというのは(特別に合理的な理由がないかぎり)おかしいと思います。

 じゃなきゃ、複数のコミュニティいに属する、複数の肩書きを持った人が、いずれのコミュニティとも直接関係のないところで不祥事起こしたら、どこの誰が会見しなきゃいけないのってことになりませんかね。大学の講師とかさ…会社役員とかさ…。

 とにかく、同じ部で頑張ってた"無関係な"部員が巻き込まれるのは可哀想すぎると思います。
 



2013年5月10日金曜日

時代に合わないルールなんて替えちゃえばいい(のか?)



 大学時代に入っていたサークルで、下級生から規約(正式な名前は忘れた)を変えようという動きが出たことがあって結構もめたときに、「実態に合ってない決まり事なんて変えちゃえばいいじゃないですか」というような発言をされて、驚いて反論したことを覚えている。

 曲がりなりにも法学部に在籍していた僕は、長年守られてきたサークルの規約なんてものを、気に食わないからといってコロコロ変えていいもんじゃないだろうと思った。同級生のS君がまさに「憲法みたいなもんなんだから」と嗜めてなるほどと思ったように記憶している(そのS君は今は裁判官をやっている)。古いから、伝統があるからというよりも、ブレるからイカンと思った。その決まり、何のために存在するんだってことにもなる。
 その発言をしたのは理系の子で法律的な知識がなかった(もしくは考え方ができなかった)ようだったし、世の常として上級生は下級生を頼りなく思ってしまうものなので、「話にならんなぁ」と感じたような気がする。今思えば微笑ましい限りだ。かくいう自分も法学部といったって熱心でもない学生だったし。
 ただ”原則”をそうコロコロかえるのはよくないと思ったし、今もそう思っている。

 昨年、大勝して政権を取り戻した自民党が、維新など野党の協力が得られそうなこともあり、今度こそ本気で憲法を改正しようとしているようだ。96条を替えて改正のハードルを下げようといわれているが、果たしてそれはいいことなのだろうか。

 憲法は改正したほうがいいと思っている。「自主憲法でなきゃイカン」という立場ではないし、自民党の憲法草案も「それはアカンのちゃうか」と思う部分が結構あるから、あのまま実現されると困る(ゲンロンの「憲法2.0」(新日本国憲法ゲンロン草案)はちゃんと読み込んでないので、むしろこの際読んでみたいと思う)。どこをどう替えたほうがいいという考えがまとまっている訳ではないのだが、いくつか替えるべき条文はあると思う。

 「改正したいと思っているなら、改正のハードルが下がるのは歓迎じゃないのか」と問われるかもしれないが、そうは思わない。BLOGOSの座談でコバセツ先生がおっしゃっていることがもっともだと思う。
国民と憲法の間をウンと遠くさせておいて、日本維新の会の橋下さんが何か言ったら、「うまくいけば、3分の2行きそうだ」と途端に動き始めた。今、96条なら3分の2がまとまる。そして、96条を取っ払って過半数になったら、その後はどんなに分裂しても、自公で過半数を持っていると。これはどう考えても、姿勢として正しくないですよ。
小林先生も改憲論者の立場でありながら、今のムードを見て警鐘をならしておられ、頼もしい限りだ(とか書くと偉そうだけど)。右傾化警戒とかいうわけではないけれど、「憲法の改正」ということの重大さをもちっと考えて、広く議論されなきゃならんと思う。今はそういうニュースが盛んに流れているけれど、皆が議論している感じじゃあ、決してない。

 アベノミクスの恩恵を受けて投資資産の含み損が含み益をもたらしている昨今、山口県出身者でもあるので安倍総裁にはさらに期待をするものでありますが、国会勢力と、何となく高くなってる支持率を背景に、このまま一気に憲法改正に突き進むのはちょっと危険な気がします。

 このBLOGOSの座談、「(憲法論議は)あまり詳しくない」という方、「憲法改正されるんでしょ?」と何となく思っている方にオススメです。


2013年5月9日木曜日

AKB48研究生失格でも乃木坂46メンバーになれる理由


 元AKB48研究生の西川七海さんが乃木坂46で再デビューするそうです。AKBの研究生をやめたのは、「AKB48研究生としての自覚に欠けた軽率な行動を取った」というのが理由だそうですが、AKBの公式ライバルである乃木坂46ではその行動は問題ないという認識なのでしょうか。

 その「軽率な行動」というのが、男性とプリクラを撮ったことのようです。AKBは「恋愛禁止」ということになっていて、そのプリクラ撮影がひっかかるということなのでしょう。一時期、秋元プロデューサーが「恋愛禁止なんて言ってない」と述べたというニュースがありましたが、Google+では禁止と書いています。どうやら乃木坂も同様に恋愛禁止ということになっているようなので、これはつまり乃木坂はAKBよりも倫理のハードルが低いということなのでしょうか。乃木坂としては、あれはAKB研究生時代のことだから問題ない(乃木坂メンバーとして活動中に同じことをしたらダメだけど)ということでしょうか。

 別に西川さんの再デビューが気に食わないわけでも、乃木坂憎しということでもなく、どうせ戻ってくるのに活動自粛とか引退とかいってファンの前から姿を消すのってどうなんだろう、と思ったのです。西川さんの場合は自分から引退したわけではないですが、結局戻ってきたのは、プロデューサーが同じ秋元さんが務める乃木坂なので、拡大解釈気味ですが自作自演といえなくもない気がします。
 ほかにも、勉強に力を入れたいとか、留学したいとか言って、すぐ別の事務所からデビューしたりする人が結構いますが、見え見えだったりして辟易とします。大人の世界といえばそれでおしまいですが……。

 ただし、一度ミスを犯したり減点されたりした人が再起できないのはおかしいと思います。「そもそも活動を自粛しなければいけなかったのか?」とも思いますし、せっかく再デビューするのだから、当時から待っていたファンもいるはずですし、ぜひがんばってほしいと思います。乃木坂もアイドルグループのワンオブゼムから抜けきれないし、AKBも一時の勢いは失いつつあるようなので、話題になることは歓迎なのかもしれません(自分としては、48グループについての関心事はもはや、こじはるがいつ卒業するのかという点につきます……)。

2013年5月8日水曜日

そのFAX、メールじゃダメですか?

 


 FAX使ってますか? 最近いつ使いましたか?



 自分はなるべくFAXを使わないようにしている。プレスリリースがFAXできたら、送り先に連絡してメールに切り替えるようお願いしている。多いところだとA4で5枚にも10枚にもなるので、紙がもったいない。メールにPDF添付して送ってくれればそれでいい。

 紙の節約という意味では、会議で使う資料だって、印刷して配布する必要性の高いものはともかく、そうでないものはなるべく印刷しないで済ませたいと思っている。原稿、ゲラのチェックとか細かな確認はディスプレイよりも紙のほうがやりやすいと思うが、紙で配られる資料のすべてが、紙でなければいけないということはないだろう。会議だって、参加者それぞれが端末を持つとか、スクリーンに投影して全員でそれを見るなど、いろいろ方法はある。

 だがPDFで資料や書類をもらっても、デジタルだけで完結できないことが多い。日本は書類に印鑑を押す文化の国だから、PDFでもらった書類を印刷して押印し、郵送やFAXで戻すことがよくある。それならまだしも、押印した書類をスキャンしてPDFにしてメールで送ることもあって、こうなってくると、「何やってんだ」という思いが頭をもたげる。とはいっても、デジタル署名、デジタル印鑑なんてまだ一般的ではなくて、自分も使っていない。アナログとデジタルの融合……などとひとりごち、ちょっと慰めてみる。

 たしかにFAXは、パソコンがなくても専用機と電話線があれば送れるし、手書きの文字や絵をそのまま送ることができる。メールよりも優れていると言えなくもない点があるような気もする(←回りくどい)。それに企業ならFAXと電話線はだいたいあると思う。

 だがFAXでないといけないということはどれだけあるだろうか。ラジオ番組のリスナーからの投稿とか、24時間テレビの応援FAXとかも、なくなったら主催者側が困るような気もするが、ビジネスではメールへのPDF添付でいいのではないか。メールを使わない会社だって今はあるし、PDFを全員に送らずともクラウド、ドライブにファイルを置いて各自がアクセスする方法だっていいと思う。

 会社を移転にあたって、FAXをメール受信できるサービスも検討した。社内の全員に周知させるのにハードルがあると思ってやめたのだが、ひかり電話のい1回線をFAXに占有されてしまうのは、ちょっと切ない気もした。



 何もFAXそのものがもう無くていいなどと言うつもりはない。会社の書類をすべてデジタルにせよとも言わない。
 でもビジネスでは、オフィスワークの現場では、FAXはもう使わないようにしていきませんか…?。





(ところでFAX送信するよう促してる書類で、送り先番号を紙の上のほうに表示するのって、嫌じゃないですか? 紙を置いて、いざダイヤル()しようと思っても番号見えないし)


(これ、会社で使ってます……)

2013年5月7日火曜日

都立高校のBS公表――分からないことを分からないまま書くかねぇ


 東京都教育委員会が都立高校のBSやCF計算書を公表したそうだ。今年が初めてではないのだが、初めて知った(何となく聞いたような気もするが)。たまたまマイナビニュースの記事で知ったのだが、この記事を読んでちょっとうなってしまった。筆者はBSが読めないんだろうなぁと思ってしまったからだ。この記事や単なる数字の羅列で、解説も何もないから、とてもではないが読みたくはならない。数字を伝えるだけで「なるほど今年はそうだったのか」と読者が納得してくれるような内容なら「単に情報を伝達することが目的」という方便も成り立つだろうが、果たしてそれでいいのだろうか?

 なぜわざわざそんなことを言うかといえば、自分が記者時代、BSやPL、CFなんて分からないのに、前年のスクラップを見て自治体の予算、決算記事を書いていたことを思い出したからだ。恥ずかしながらほとんど何も分かっていなかったので、予算課のレクに厳しくツッコむことなんてできなかった。その自治体にとって大きなイシューであれば、議員もツッコむし事前に勉強することができたので、それなりに解説や批判はできていたと思う。だが、そもそもBSやPLを読みこなせていなかったので、大方の部分についてはポイントがつかめず、何をどう書いていいか分かっていなかった。

 ところでこの記事の目的はマイナビ批判ではない。言いたいことはまず、BSやPLは読めるようになっておいたほうがいいということだ。会計士が書いた書籍にその手のものが結構あるが、読めるようになるのはなかなか大変だ。また、読み方を知識として身につけても、その数字が意味するところを読み取るのは容易ではない(「日経新聞の読み方」を指南した本があるが、あれを読んでも記事の評価ができないと同じか)。かく言う私も、今でこそBSやPLを見て、何となく意味が分かるようになっているが、それでも細かいところまでは分からないし、業種が変わると手が出なかったりする。ちゃんと勉強したわけではなく、「決算書はここだけ読め」とか「バランスシートがすぐに読めるようになる」とかいった本を読んで勉強したのだが、結局役に立ったのは実際のBSやPLを見なければいけなくなってからだ。そうして実物をシビアに見たからこそ、それぞれの項目や数字が持つ意味が少しずつ分かるようになった。

 でもこの手の資料を見ただけで敬遠しているようでは、ダマされても文句は言えないと思う。それはBSやPLに限らず契約書や法的な書類についても同じことだ(この手の書類が誰にでも分かるようになると士業の皆さんが食いっ逸れるからそんなことにはならないだろう)。記者時代の自分もダマされていたかもしれない。いや、ダマされていたのだろう。そんなもの、追求しても「聞かれなかったから」と返されたらぐうの音も出ない。中には自分には必要ないという人もいるだろう。たとえば「ビジネスパーソンとして出世したい、起業して成功したいとかいう人ならともかく、自分には関係ない」というように。そういう人は「ダマされてもいい」と言っているわけだから、聞いてくれなくていい。

 次に言いたいことは、余計なお世話を承知でいうが、この手の専門性のある記事を知識のない記者に書かせていていいのだろうか、ということだ。1本記事を書けばあちこちに転載されてPVは稼げるのかもしれないが、「金かけてないんだなぁ」ということが丸わかりだし、恥ずかしいし、記者のためにもならない。この場合、記者がちゃんと読みこなせrるように勉強するか、読める専門家に読んで解説してもらうこと(場合によっては記事を書いてもらうことまで含めて)をしないと、読者のためにはならない(大手紙なら、たとえ社会部ネタでも経済部に力を借りることができるが、ウェブメディアなどでそれができるとは限らない)。記事1本あたりのコストが下がっている今、なかなか1本の記事にそう労力は割けないかもしれないが、最初にがんばって最低限の「読み方」を身につけておけば、あとは毎年、または年に数回その読み方をツカう機会がくる。最初は大変かもしれないが、やっておいて損はないと思う。同情はするが、解決の選択肢はある。

 冒頭の都立高校のBS、CF計算書は面倒で読んでいないので、ポイントは分からない。たとえ読んだとしても、自分の能力では読み解くことはできないだろうし、「あぁ出版や広告代理店とはここが違うなぁ」という比較くらいしかできないだろう。そもそも今年の分だけを読み込んでも、過去や他の自治体などと比べなければ評価ができないだろうし、そこまでの時間を割くつもりはない。と言っている時点で、紹介した記事の筆者と同じスタンスだといえばそうかもしれないが、誰かやってくれないものだろうか……。

 ところで都や区の予算の執行状況、決算などが配布されると思うが、あれも同じだと思う。本当に都民や区民に状況を知ってもらうための努力がしっかりなされているかといえば、そんなことはないだろう。ひと昔前とくらべれば、グラフや表、たとえなどを使うことで分かりやすく読みやすくするための工夫がされるようになった気もするが、それでも都民、区民の多くがしっかりと読めるような状態にはなっていない。それを都や区に求めていいものかは自信がないが、何とかできないものだろうか、とは思う。