2017年8月27日日曜日

実写の名作を20年以上後にアニメでリメークする意味があった  『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』

(C)2017「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」製作委員会

1993年8月26日。大学2年生だった。長い夏休みの最中で、サークル活動とバイトに精を出しながら、英語の勉強と称してたくさん映画を見ていた。そのほとんどはレンタルビデオ(Blu-rayでもDVDでもなくVHS)だったけれど、とにかくコンテンツにたくさん触れて吸収していた。

その過程でそう思うようになったのか、自分も映像が作ってみたいと思うようにもなった。その数年後の就職活動では、新聞社と同時にテレビ局も受けた。

1993年8月26日。今から24年前、フジテレビの『if もしも』という枠で、ドラマ『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』が放映された。もちろん自分も見た。そして気に入り、忘れられない作品になった。



もう当時の記憶はいろいろと定かではなく、リアルタイムで見たのか録画だったかは覚えていない。なぜ見たかといえば、奥菜恵さんのことはかわいいなと思っていたから、それが理由だったんだろう。たしか前年に公開されていた彼女のデビュー作「パ★テ★オ」は見ていたはずだ。当時から好きだった松雪泰子さんが出ていたからなのだが、それで奥菜さんのことも気に入ったんじゃないかと思う。


あれから24年たって、奥菜さんが演じたなずなを、広瀬すずさんが演じるというアニメ版リメーク映画『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』を見てきた。


知り合いの映画ライター氏が絶賛していたので、きっといい作品だろうと思っていたのだけれど、なぜかネットではこきおろされている。

しかし、いいリメークだったと思う。

いや、好きになれない部分はたくさんある。

たとえば典道のCV菅田君はうまかったと思えない(菅田君のことは大好きだけど)し、渡辺明夫さんによるキャラデザも、ちょっとアダルトに寄せすぎな気がしたし、映像表現は最近のアニメにありがちに(と勝手に思っている)華美だし、風車が林立しているわりに風の影響が感じられないし……いろいろある。

だが、これはおこがましい言い方を承知でいうが、それでも最終的には許せてしまったし、いい終わり方だったと思う。

ご多分にもれず、見る前は懐疑的だった。なにせカルト的な作品だ。自分も気に入っている。実写をアニメにするのもハードルだろう。ひどい作品になって初恋の思い出が汚されるようなことになったら嫌だなと勝手に思っていた。

なぜそれだけ原作を気に入っただろうか。言い換えれば、なぜあのテレビ作品が後に映画にもなるほど注目され、多くの人のハートをつかむにいたったのかということなのだが、誤解を恐れずいえば、これはもうひとえに、あのタイミングの奥菜さんが起用できたからだろう。

ナボコフの『ロリータ』を例に出すまでもなく、少女が大人になる寸前の美しさは古くから多くの人たちの心をとらえてきた。今でこそロリコンという言葉は、ネットではペドフィリアと同義に扱われるが、決してそうではない。子供ではないが、大人でもない。その刹那的な、その瞬間にしかない、はかないきらめきというものがある。

子供のかわいらしさ、あいらしさを持ちつつ、大人の女性としての魅力をこれから発し始める一瞬のタイミングに、その両方を持ち、どちらでもないアンバランスさをもかもし出す。

原作ドラマをご覧になった方なら分かると思うが、まさにあの時の奥菜さんは、まさにそれだった。あの時の奥菜さんだからこそなれた「なずな」がいた。これこそがあの作品の魅力そのものだ。

もちろん、岩井俊二という、ナイーブでセンシティブな作品に定評がある監督がメガホンを取ったことも忘れてはいけないだろう。音楽も素晴らしかった。REMEDIOSの「Forever Friends」は忘れられないメロディーと歌詞。数年後にCMにも起用されていたと思う。夏休み、転校という設定も、大人が学生時代を振り返るには、十分すぎるほどノスタルジックだ。

そうしたことは分かっていながらも、やはり14歳の奥菜恵を起用できたことがあの作品を伝説にしたのだと思えてならない。

と、ここまでくどくどと書いているが、そう何度も見返している作品ではない。思い入れのある作品だからこそ、そんなに見たくない。だからかなり美化しているかもしれない。

でも、それでもいいのだ。自分にとっての 『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』はこういう評価なのだ。

そして、その作品が24年経ってアニメ映画としてリメークされた。

上でも書いたように、気に食わないところは結構ある。でも、よかったと思えた。なぜか。それは今回自分が本作を見るきっかけとなった映画ライター杉本さんが映画.comのレビューに書いているように、「オリジナルのテーマを深化させ、アニメならではの魅力もフルに発揮した理想的なリメイク」だと思えるからだ。

事前にこのレビューをしっかり読んだわけでもないし、杉本さんが絶賛するほどに気に入ったわけでもない。

しかし本作を見た今、このレビューで書かれていることの意味がとてもよく分かる。


そもそもカルト的な人気を誇る原作をリメークすることの大変さは、企画をした東宝の川村さんだって、脚本の大根さんだって、総監督の新房さんだって分かっているだろう。原作厨に批判されることも十分承知だろう。

それでもリメークをした。その挑戦に拍手をおくりたいし、その挑戦は決して失敗ではなかったと思う。

映画ファンは常に、まだ見たことのない何かを見たがっている。かつて見た何かと同じでは満足しない。しかし、だからといって突飛でいいとは思っていない。地続きでありながらも、同じであって欲しくない。過去を、歴史を吸収し、リスペクトしながらも、新しい何かを追求して欲しいと思っている。

2017年8月。既にジブリの時代を経て、ジブリ後の世界が始まっているといっていいだろう。私達視聴者の目は肥えている。既に日本の映画鑑賞者たちは、岩井俊二も大根仁も知っているし、新房昭之も宮崎駿も、さらにいえば新海誠も知っている。

アニメが子供向けのフォーマットではないことも、実写以上に美しい情景を描写できることも知っている。現実の地続きの世界で、現実にはちょっとあり得ない物事が描かれることにも慣れている。そうした作品は既に数多く生まれ、非現実でロマンティックでありながらも、現実からの距離が遠すぎず、納得感を持って見られることを求めている。

もちろん、こんなことは古今東西、表現者であれば追及しつづけていること。何も2017年に始まったことではないだろう。新たに公開された作品が比較の対象となるのは、未来の作品ではなく常に過去のすべての作品。既に本作を作った表現者たちは次の作品を作り、世に問うている。それはこれからも繰り返される。


そして映画ファン、視聴者、映画鑑賞者……どんなラベルをはろうと、置かれた状況も過去に見てきた作品も人それぞれだ。 24年前に原作のドラマを見てハマった男もいれば、平成に生まれてアニメに目が肥えた20代の女性もいるだろう。アニメなど見ないという30代もいれば、原作つきの映画が嫌いという10代もいるだろう。主題歌のアーティストや誰がCVを務めるかで見る作品を決める人もいるだろう。俳優がアニメのCVをやることを嫌う人もいるだろう。要は人それぞれだ。

だから、いや、とにかく評価は分かれるものだ。それでいい。

2017年8月に公開されたアニメ映画 『打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?』。興行収入が過去ナンバーワンにはならないかもしれない。原作ドラマほどの鮮烈な印象は残さないかもしれない。


しかし、少なくとも24年前、大学2年時にドラマを見てハマった自分は、その後多くのアニメや実写などの映画、ドラマをたくさん見てきたうえで、「(リメーク版の本作を見て)良かった」と思えた。「今やる意味があった」と思えた。