2012年6月9日土曜日
終戦後のブラジルで『国賊』と言われた理由――映画『汚れた心』を観て
第二次世界大戦直後、国交の断絶により日本からの情報が立たれたブラジルの日本人コミュニティ。日本の敗戦を受け入れられない移民と、ラジオなどで敗戦の報を聞き「事実」として受け止めた移民たちは対立、前者は後者を「国賊」として襲い、殺害した。23人が殺され、147人が負傷。381人が襲撃に関与したとして検挙されたという。
2000年にジャーナリスト、フェルナンド・モライスが発表した同名のノンフィクションが、本作『汚れた心』の原作だ。ベストセラーになった同書を映画化したのはブラジル人監督ヴィンセンテ・アモリン。メインキャストは伊原剛志、常盤貴子、奥田瑛二たちで、セリフはほぼ日本語だが、本作はブラジル映画として製作されている(伊原はウルグアイで開催されたプンダデルエステ国際映画祭で主演男優賞を受賞している)。
恥ずかしながらこの事実を知らず、予備知識もなく試写を観た。
敗戦が事実だと本当は分かっているはずなのに「日本が負けるはずがない」と思いこもうとする。大和魂、皇国臣民のあるべき姿を“曲解”し、早々と敗戦を認めた同胞である日本人たちを“国賊”と決めつけ、殺めていく。そうすることで、心の安寧をかりそめと知りながら求める……。
その行為は狂信的で身勝手だが、果たしてそれを批判できるだろうか。
アモリン監督もインタビューで、「ブラジル社会の偏見に打ち勝ち、日系コミュニティーを結束させ、アイデンティティーを保つ手段として必要だったのだと思う」と述べている。認めるわけではないが、そういう状況になってしまったことが分からなくはないということだ。
もし自分があの場にいて、守るべき家族があるのに、命を懸けて「王様は裸だ」と言えただろうか。家族を、そして自分の身を守るために仲間を殺せるのだろうか。
その意味で、主人公夫婦に子どもがいないのは演出の一つのポイントだったのではないか(日本語もポルトガル語も分かる近所の女の子が主人公夫婦になついていて、頻繁に出入りしていることは、主人公たちの葛藤を深める要因になっていたが)。
また主人公夫婦の濃厚なベッドシーンが何度かあったが、そこからは、お互いの愛情の深さというより、異国の地で肩を寄せ合って暮らす2人を取り巻く閉塞的かつ絶望的な状況、希望を持ちながら支えあって生きていくしかないという、何ともいえない切なさばかりが感じられた。
だからこそ夫のしたことを知った妻の葛藤は深いものだっただろう。妻が行動を起こすまでに考えたことを想像すると、やるせない気持ちにしかならなかった。
自分だったら、果たして前向きに生きていけるだろうか……。
自分の所属するコミュニティの趨勢にあらがえず、いけないとと知りながらも保身のための行動を起こす。むき出しになるエゴ、理想と本音の間の葛藤。本作はラース・フォン・トリアー監督の『ドッグヴィル』のようだと思った。腹にズシリと重いテーマ、演出だが、観て損はない。いや、観て、考える機会を持って損はない。
アモリン監督はまたインタビューで、「映画は原理主義と寛容の物語。この問題は現在も存在する。イラク戦争、パレスチナ紛争もそうだ」と述べたという。時代や場所は変わっても、人間の社会が生む問題、ナショナリズムやマイノリティに関わる問題は、似たような構造で存在している。その意味でも、本作は、日本やブラジル以外の国・地域でも高く評価されておかしくない作品なのではないだろうか。
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