2012年5月21日月曜日

そこで何をどう書くべきか――「視点」について考える(1)

FJの休刊号・2012年6月号を発行した4月21日から一カ月が経過しました。

月刊誌なので1カ月は書店に置いてもらえるとして、5月21日までにはなくなります。
つまり本日、とうとう書店からも姿を消したことになります(サイトでは今後も販売しますが)。

こうなったことについて、
「編集長として書かねばならないこともあるのでは」というご意見もあるでしょう。
しかし言いたいこと、書きたいことは誌面で書いて(編集して)きました。
もちろんできなかったこともあり、またいつか……などという考えもありますが、
それができなくなったことは、すなわち力が足りなかったわけですから、
挑戦が広い支持を得られなかったという事実を甘受しながら、
次の歩みを繰り出さなければいけないのだろうと思いました。

ところで、これまであちこちで少しずつブログのようなものを書くなどしてきて、
FJに携わっていた間は、アメブロでもやってきました。
このままブログタイトルだけ変更して続けるということも考えましたが、
IDがfinancialjapanのママでよいのだろうか、ということもまだ整理できていません。

だからといってアメブロのアカを消してしまうつもりはないのですが、
一方で、アクセス数カウント法など、アメブロについて
数々の疑問が寄せられている現状にあって、
アメブロだけで続けていくのもなぁ、と考えたこともあり、
新たにブログを立ち上げていろいろ書いていくことにしました。
(アメブロを消さない理由には、financialjapanという名前を残しておきたいということもあります)


というわけで今日からここで(も?)書いていきたいと思います。


*   *   *   *   *   *   *   *   *


最初のエントリを何にしようかずっと考えていて、
さっきまで「色」について書くつもりだったのですが、
急きょ、「視点」について考えてみたいと思います。
まさにブログタイトルのように考えながらまとめていきたいと思います。


実は先日からエラそうなことにライター・編集講座なるものを始めました。
http://www.facebook.com/events/382734945106772/

編集長としては、今のところ結果を出せていませんが、
少なくとも、人の文章を分かりやすく直すだとか、
推敲や編集のスキルは、それなりにあるんだろうと思っています。
(クセもあるし、表現の幅も広くなんかありませんし、
そもそも「面白い文章を書く」能力が自分にあるとは思っていませんが、
分かりやすくする、推敲するのはそれなりに得意な気がしています)

そこで文章がうまくなりたいという方に教えるということをしています。
その過程で受講生の皆さんにはお伝えしたのですが、

「視点を知ること」

は本当に重要だと最近改めて思います。

例えばそれは、その媒体(ブログ)で伝えるべきこと、
個々の記事で伝えること、伝えるべきことを規定します。
何を書く(べき)か、どう書く(べき)かについてがおのずとハッキリします。

ただそれは、「書きたいことが何なのか決める」ということでは、必ずしもありません。
なぜかというと、職業ライターは、必ずしも自分が書きたいことを書いているわけではないからです。仕事であれば、ネタをフラレて書くわけです。それは一部のブロガーの方もそうでしょう。読者が読みたいであろうと思えテーマなら、さほど関心はなくともそのテーマについて書くはずです。
まぁ個性が大切なブロガーはともかく、仕事で文章を書く場合は、発表する媒体によって、そこで書くべきことは変わりますから、必ずしもそこに筆者の視点は必要ないということが珍しくありません。
そういう仕事の発注の仕方(ライターに個性を求めない)の是非はここでは論じません。ここで指摘したいのは、

その記事で何を書くべきなのかということは、
視点が分かっていなければ、分からない(書けない)

ということです。当たり前ですね。逆にいえば、

視点が分かれば、何をどう書くべきかが分かる

わけです。書ける人からすれば、しごくもっともなことなので、読み飛ばしていただいたほうが良い。
ですが、書けない人は、それがスッと理解できないという場合が多いように思います。

分かりやすくいえば、

・ 発注元が記事に、自分に何を求めているのか
・ その記事で読者に何を伝えるべきなのか
・ その記事に、そのメディアに読者は何を望んでいるのか。

ということが分かるかどうか。それは、“出発点”としては大きな違いです。
(それが分かっていれば、そこから外すということもできます=分からないと外せない)

世の中で何か起きた時、ニュースを聞いた時、そこで取り上げるべきかどうかが分かります。
取り上げると仮定して、何をどう書くべきかが分かります。

すごく分かりやすくいえば、R25の巻頭の「RANKING×REVIEW」で書くのと、
ウーマンエキサイトに書くのとでは、まず取り上げるネタも違うでしょうが、
たとえ同じネタで書くとしても、まっっったく違う記事になるわけです。

これだけ違えば分かりやすいですよね。
(「そんなん分かって当たり前」と思ったら、何か一つテーマを決めて、自分なら何をどう書くか考えてみてはどうでしょうか。金環日食でも、きゃりーぱみゅぱみゅブームでも、河本準一家族の生活保護受給の件でも、チャンピオンズリーグでも、B-CASでも何でも構いません。それを、どこに発表するかという想定とかけあわせて、何を書くか考えてみる。意外に難しいかもしれません)

それに、いつも分かりやすいとは限りません。
たとえば同じ雑誌でも、コーナーによって書くこと、書き方は変わりますし。時期によっては同じ雑誌、同じテーマでも、書くこと自体が異なります(視点はブレてはいけませんが)。

ライターとして分かるべきなのは、
自分が書く記事は、何のため掲載される記事なのか。
このページのこの文章で伝えるべきなのは何か。

そういうことです。それが分かると、話が早い。

ただし「話が早い」のが「正しい」とは限りません。

直観的に分かるからいいというものでもないのです。何かネタを振られたときに、「あっ、これなら、こういうことを書いたらどうだろう」「データやコメントは、あそことあのサイトで調べればいいだろう」ということにすぐに気づけば、たしかに話は早いのですが、それが正しい・面白いとは限らないからです。

「ストロベリーナイト」では、姫川は直観をもとに捜査を進めますが、日下はとにかく丹念にデータを積み上げていき、直観という予断を可能な限り排除します。まったく手法は異なりますが、どちらが正しいというわけではありません。
(ただしネタ元はたくさん持っておくべきです。ネタを振られてからあちこち調べ始めるのでは遅い)


ですが、「話が早い」という意味では、すぐに分かったほうがいいわけです。
今どきそんな悠長に仕事なんてしてられませんから、サッと分かったほうがいい。


また、これは言うまでもないのですが、途中で、そのロジックが成り立たないことやデータが集まらないこと、結果的に面白くないことが分かったら勇気をもって別の方向に進まなければいけません。
推論がなければ調査は進みませんが、調査の結果、推論が間違っていることが分かったら、論理を組みなおさなければいけません。でないとねつ造やデータの都合のいい解釈をするようになりますから。



記事に正解はない、ということがよく言われます。

ですが、不正解はいっぱいあります。


少なくとも視点が分かれば、その不正解にたどりつくことはなく、バッサリ直されることもなくなります。