2024年6月16日日曜日

今なお、そこにある(?)差別とハラスメントーー『ゴールドマン・サックスに洗脳された私 金と差別のウォール街』

ゴールドマン・サックスに洗脳された私 金と差別のウォール街

ゴールドマン・サックスに洗脳された私 金と差別のウォール街』(ジェイミー・フィオーレ・ヒギンズ著、光文社。『Bully Market: My Story of Money and Misogyny at Goldman Sachs』)面白くてあっという間に読了しました。帯コピーには「金の奴隷」「差別のオンパレード」などドギツイことが書かれていますが、そのまんまの内容で、「次はどうなるんだろう?」と思いながら一気に読んでしまいました。

著者がGSを辞めて既に数年、変わってはいるだろうけれども、まったくの別会社になったと言えるほどは変わっていないなずなので、今いる人たちの感想が聞きたいものだと思った。

(内容のネタバレ含みます)

デスクに子供の写真を飾って何が悪い

著者はかつてGSでマネージング・ディレクターにまでなった女性。MDになれるのはトップ8%ほどだそうです。彼女には大学を卒業して進みたい道があったものの、教育費として投資をした親からの要請にこたえて、給料が稼げるGSに入社。白人男性中心、女性に対するあからさまな差別が横行、パワハラ・セクハラ当たり前の中で、コツコツと仕事をして認められ、うとまれながらも子供を産み、やがてGSを辞めるまでをつづっています。

たとえばデスクに子供の写真を飾っているだけで「会社は保育所じゃない」といわれたり、出産後に搾乳の時間を取ることを禁じられたりしえ、自分的に”フツーの感覚”からすると、「なんでそんなことするの(言うの)?」とまったくもって理解できない価値観と行動の押し付けが続きます。ただ売り上げと利益の拡大しか考えていない”彼ら”からすると、それが”フツーの感覚”なのでしょう。マッチョすぎる。

たしかに、部下にムリな命令や指示をする上司の中には、「それが当然」と思ってやっている人もいれば、「おかしい」と思いながらも「自分もされたから」と止めない人もいるでしょう。

ただ後者も同罪です。

この手の話になると、「嫌なら辞めればいいじゃないか」という意見を持ち出す人もいるのだけれど、そうならないようにか、驚くほどの給与や報酬が支払われます。

要は我慢料です。

大卒1年目で年収は13.5万ドル?

序盤、決して裕福でない家庭で育ったジェイミーが、GSに入ってた時にいきなり年収が13.5万ドルになったことを、食卓で報告するシーンがあります。親や兄が何年も働かないと得られない給料を得てしまって、バツの悪い気持ちになった彼女は、その時のことを

長年にわたってチームを率いてきた愛すべきベテラン選手を引退に追い込んだ、新人のクォーターバックのような気分だった

と書きます。ここはいたたまれない気持ちになります。

この感覚、言いたいことはなんとなく分かるが、これとて(意図してかどうかは分からないが)ごまかしがあります。

というのも、同じチームで同じスポーツをしていれば、給料(年俸)の差はあるものの、ベテラン選手のほうだって、まあまあもらっている(もしくは過去にはもらっていた)はずだからです。

世代交代は必ず起きます。それはチームスポーツに限らず、社会も同じ。不老不死が実現されていない以上、いつまでも選手が、社会の構成員が変わらないままなんてあり得ない。ジェイミーが働き始めて、父が引退に近づく、ということだけなら、自然の流れです。

しかし、この額を知った家族が「宝くじにあたったようだ」と驚くくらいの額を稼げてしまっている。その良し悪しはここでは論じませんが、異常性に満ちた世界であることはうかがえます。

「(億円単位の)ボーナスをあと2回もらわないと辞められない」も異常

ジェイミーは夫のダンと、住宅ローンの返済と老後生活資金を築くために、エクセルで「自由のためのスプレッドシート」を作っていて、その内容の詳細は本書では書かれていないのですが、「億円単位のボーナスをあと●回もらわないと達成できない」というような目標が立てられている時点で、正直、同情の余地などないなとも思います。

だって、GSを辞めたら稼げないような額の収入を前提にライフプランニングしているんだから、「それなら四の五の言わずに我慢して働くしかないよね」となるでしょう。

この意味においては、ジェイミーもただの被害者ではないわけです(だからといって声を上げる権利がないと言っているわけではありません)。麻痺しているだけ、と言えるかもしれませんが。

とはいえ、ジェイミーが流産してしまい、血を流しながらフェリーに乗って帰るくだりにいたっては、もう「どうかしている」としか思えません。

別にジェイミーを責めたいわけではなくて、彼女にそうせざるを得ない条項においやったすべてのこと、人に対して「どうかしてる」と思わざるを得ませんでした。

「余計な暴露をしやがって」くらいにしか思ってないんじゃない?

本書で書かれたあらゆることについて、GSだけを責めて変えさせるだけではダメでしょう。規模は小さいながらも(GSほどではないにせよ)、今なお、世界中のあちこち、いろんな業界、さまざまな会社や組織で起きているからです。

とはいえ、本書が注目されたのは、GSという、知名度では世界一といえるくらいの投資銀行が舞台だからこそ。やはり業界の第一人者、トップ企業には、それなりの責任が求められる。嫌だろうが仕方ないことです。

本書で書かれたようなことが起きたのが、金融業界だからなのか、自由の国・アメリカだからなのか、ゴールドマンサックスだからなのか。ここを考えてもあまり意味はないように思います。いずれも相関しているだろうし、不可分です。

本書の影響で、こうした状況が少しでも変わればよいのですが、これを読んだ当事者たち、特に幹部の中には「余計なことをしてくれた」としか思っていない人も少なくないんじゃないか……と思ってしまいました。

(本書、映画化できそうだなと思いましたが、どうなんでしょうか。「ウォール街」にせよ「ウルフ・オブ・ウォールストリート」にせよ、男性主人公でしたし、本書は女性なので違いは出そうですが)

残念な国になってしまった

と、いろいろ書いてきましたが、別にGSについては、大してネガティブな感情は持っていません。自分が何か迷惑を(直接)被ったわけではないし、人の欲望に歯止めはかけられないものだし、そもそもアメリカはそういう国だからです。ある意味、どうでもいい(優先順位をつける必要がない)。

それに、金融業界にいるすべての人、GSの従業員、アメリカ国民が”そういう人”たちばかりではない、ということも分かっています。”そうじゃない”人たちもたくさんいる。

ただ、そうしたことを差し引いても(そして本書を読んだからではなく)、アメリカはつくづく残念な国になってしまったな、とここ数年強く思うようになりました。

残念だという気持ちを抱くということは、期待をしている、認めているからこそだし、「だから日本のほうが……」とか言うつもりはないけれど。